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2009年5月10日

故・西岡常一 棟梁語録 1

大分からの帰りの新幹線の車中よりブログを書いてます
最近は便利になって新幹線にも座席横にコンセントがついてます
5月8日より10日まで大分に滞在
木工事を完成させて大工さんと一緒に帰る予定でしたが、どうやらまだ3日くらいかかりそうなので、次の予定もあるので、急遽、戻ることになりました
昨夜は、藤井さんと過去にした文化財の話や、名工と呼ばれる大工さんの裏話で盛り上がりました
藤井さんが、法隆寺の棟梁である西岡常一棟梁にあこがれ、薬師寺の現場で働いたときに、西岡棟梁から聞いた話に、興味深いことがいくつかありました。記憶が鮮明のうちにブログに書いておこうと思います。
 西岡棟梁が、かつて京都御所の紫宸殿の現場に行くこととなり、京都の大工から「奈良の田舎大工、何ができるものか」と小馬鹿にされたそうです。その時は、京都の大工が一番だと京都の大工たちは自負しており、田舎の建物しかできないだろうと思っていた奈良の大工である西岡棟梁を見下げたそうです。現場で働くうちに、西岡棟梁の器量に頭が下がり、以後一切、物も言えなくなったそうです。西岡棟梁はお祖父さんが名工であったことから、お祖父さん、お父さんから、大工としての技術や器量などいろんなことを学んだとのことです。
 また、筋交いについても、「柱をつきあげて家を壊す部材であることから、建物の隅の壁に使うときは、最大の注意が必要である。建物の隅は大事で、隅が壊れたら治せないだろう」といわれたこととか、「梁は、上側に反った物を使うのが、常識のように言われているが、実は、上を反らせると年数がたち荷重が掛かったときに変形した場合、桁を押し出して開いてしまうからよくない、逆梁だと家を締めこむからそのほうが建物のためになる。」とのこと。藤井さんは「そんなこと言われても、棟が下がるのが怖いので、なかなか言われたように、やる勇気ないなあ」とぼやいてました。
 何百年も先のことを見越した、時の流れを把握した技術が本当の技術であり、口伝でしか伝わらないのであろうと思いました。
 薬師寺の現場には、日本中の大工が集まり、名工となり、今も全国で活躍されてます。
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藤井棟梁 拝殿の銅版屋根の下地を作ってます