ブログ
2007年10月31日

船瀬俊介氏 講演 「木造都市の夜明け」

今日は、「買ってはいけない」という本で有名になった船瀬俊介氏の講演会に主催者側として出席してきました。
木造都市の夜明けというテーマでしたが、木のことだけでなく、興味深い話をたくさんお話され、盛りだくさんでした。

鉄筋コンクリート造のマンションに住むと9年寿命が短くなるとか(?)
コンクリートに体が冷やされ(冷輻射)、体温が下がることにより、ガンにもかかりやすいとか・・・
イライラしやすいから、切れる人が多いとか・・・・
超高層ビルは、大地震で、高いところが10mくらい横に揺れるとか・・・

コンクリートの建物も、内装を木の無垢の壁や床にするだけで
インフルエンザの感染が少なくなった事例・・・

ポストモダンを進めてきた、日本の建築家は、自由、解放、遊びを旨として、日本の国をこんなにもひどい風景の国にした。これからは、環境、健康、景観をキーワードにすべき。・・・・

チェル○ブ◎リの原発事故の際には、地震が関与して事故が起こったことを隠ぺいしていたとか・・・・

詳しい資料を提示されたわけではないが、なかなか興味をそそられました。

世界の安藤忠雄氏の建築は打ちっぱなしのコンクリートが有名
住んでる人に賞を与えたい住宅

とうとうボロがでてきて
安全無視の保育園

2007/9/11 中日新聞抜粋

世界的に著名な建築家安藤忠雄氏の設計による東京都調布市の市立仙川保育園(園児約100人)が、完成からわずか半年で改修工事をすることになった。安藤氏の造形に特徴的な打ちっ放しのコンクリート壁などに対し、保護者から園児のけがを危惧(きぐ)する声が相次いだためだ。一帯は安藤氏による統一感のあるデザインの街づくりで注目されているが、「デザインよりも子どもの安全が第一」との保護者の声に市が動かされた形だ。 

http://d.hatena.ne.jp/yamadayamamoto/20070912

センスのない政治家が、世間がはやし立てる大先生と呼ばれる建築家にスリより大きなゴミをつくる
東京都庁を造った大先生も同じ
東京都庁は雨漏りだらけで困っているらしい・・・・真相はいかに・・・

少々過激な発言の講演者であったが
問題提起をうけて、自分なりに考えたい

日本の文化復興の幕開けはこれからだ
安全安心で健康で、CO2固定ができる木造都市をつくりましょう

愛地球通信 
http://news.aichikyunews.jp/nstyle/blog/aichikyu/article/atc00000116


2007年10月27日

木造都市の可能性を探る

11/3に下記のように、私もパネラーとして参加します
お時間のあるかた、是非お越しください

★☆木造都市の可能性を探る★☆
 ~木の家から木の街へ~ 第38回名古屋国際木工機械展/ウッド エコテック 2007イベント

◆10月31日(水) 講演会「木造都市の夜明け」 船瀬俊介他
◆11月1日(木) KES構法による木造2階建てのおおとり保育園
 (三重県白子町)視察ツアー 船瀬俊介同行
◆11月3日(土) シンポジウム「木造都市は可能か?」
 
近年、住宅・建築の分野で、木造を見直す動きが強まりつつあります。近くの
木で家をつくる運動など、木造建築を広げていく運動も粘り強く行われてきま
した。こうした流れを促進し“木の家から木の街へ”という新しい潮流を生み
出そうという動きをさまざまな角度から紹介し、木造都市への糸口を探ります

シンポジウム「木造都市は可能か?」
 
 日時 11月3日(土)午後1時~3時30分
 場所 ポートメッセなごや 交流センター3階 第3会議室

 アクセス http://www.u-net.city.nagoya.jp/pmn/frame-nor.html

 内容
 基調講演 「なぜ今、国産材なのか」 

 河野裕之・林野庁林政部木材利用課課長補佐
 http://www.rinya.maff.go.jp/kizukai.html 

 パネルディスカッション 
テーマ
「木造都市への糸口を探る」

 パネリスト
 河野裕之(林野庁林政部木材利用課課長補佐)
 
原田裕保(豊田市森林課長)
http://www.city.toyota.aichi.jp/division_n/ag00/ag07/tanto/moridukurikousou/index.html  
大江忍(緑の列島ネットワーク理事長)
 http://www.green-arch.or.jp/ 
服部行男(株式会社名南製作所代表取締役社長)
 
 コーディネーター 飯尾歩(中日新聞論説委員)

 参加費 無料(「木機展・名古屋」入場料500円は木機展入口で別途支払い)

■主催 木造都市シンポジウム実行委員会
 (NPO法人緑の列島ネットワーク、船瀬俊介東京事務所、
 愛・地球通信、ウッドミック)

■後援 林野庁、愛知県、中日新聞社

 第38回名古屋国際木工機械展/ウッド エコテック
 2007実行委員会


2007年10月26日

宮古島38

ミニコンサート

施主さんからのメール

 大江さんが帰られた翌日に、元氣村の下地さんが連れてこられた学生さんがサック
スを聴かせてくれました。「涙そうそう」、「芭蕉布」、クラシック、ポップスから
ジャズまで結局1時間くらいの楽しいコンサートとなりました。
新しい家は音響がちょうど良く、サックスの音色がやさしく温かく響きました。

音が聞こえてきそうです
一緒に聞きたかったです

確かにこの空間は、音の響きがいいかと思います

これからも、人々が集まっていただける空間になったら
素敵なことだと思います

YOUTUBEにてスライドショーが見れます
宮古島 秋 Ⅰ


2007年10月24日

送電線の磁界、国が規制へ

送電線の磁界、国が規制へ WHO示した基準で 経産省

朝日新聞記事 

http://www.asahi.com/health/news/TKY200710230370.html

今夜、夕食を隣のお好み焼き屋さんへ、食べに行き、朝日新聞の朝刊を見てたら、3面の小さな記事を発見!

確か、2年前には、高圧線で、小児白血病のリスクがあがると疫学調査のため日本でも認められたと、朝日新聞は、1面のトップ記事で伝えていた。
ほとんど見ないようなべた記事。
YAHOOでも一面のニュースにならない

どれくらいの人に認識されているかは、不明であるが、電磁波問題は、昔からあるのに、狭い日本では長い間放置されてきた、シックハウスや血液製剤の問題と同じ。日本では、高圧線の下に幼稚園が許可される現実。高圧線の下の土地があいているからと言って、安く売り出した分譲住宅まである。ことが大きくならないと動かない、この国の隠ぺい体質にはほとほと嫌気がさす。危険なものは危険であることを認めなければ。リスクをきちんと説明したうえで、利用する、電力なしでは、私たちも困るのだから、安全な指針をきちんと示してほしい。

中日新聞 同記事(こちらのほうが詳しい数値がある)

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007102201000114.html

電磁波過敏症

私のまわりに今まで3人の患者さんがみえます
化学物質過敏症から移行していく方もみえますので、注意が必要です
携帯電話のアンテナが近くに立って電磁波過敏症になった方もみえます
洗濯機に近づけない方もみえます

電磁波は、目にみえません
目にみえないものほど怖いですね


漆喰仕上げ

新しい「ナチュラルパートナーズ」の事務所に看板がつきました

日進市役所の北東、天白川を渡ってすぐ左です
前川という住所で、文字どおり、すぐ前が川です
今までは、マンションで事務所をしており、看板もありませんでしたが
これからは、路上へ出て本格的に始動いたします
会社設立から2年経過して、少し前進しました

日当たり良好です
喫茶店のような外観ですので、近所では、何ができるのかと尋ねられました

完成しましたらお気軽に皆様、お立ち寄りください

11月16日オープンを目指しております

玄関と打ち合わせ室は、漆喰に中塗用の藁すさを混ぜて、すさの灰汁が出て、黄色っぽく仕上がってます

藁すさを大量に混ぜ込みました
雰囲気のある壁になります

今回は、自分の事務所ということもあり、ふだんできないことを色々試してもらいました
白い壁でもいろんな仕上げがあり、今回は、白だけで5種類の壁を塗ってもらってます

ストーブコーナーは、版築仕上げ
型枠を使って、順番に積み重ねていきました
「地層仕上げ」と呼んでます


2007年10月22日

宮古島 番外編 1

宮古島にて沈む夕日

連続写真です

YUTUBEにて
宮古島 秋 Ⅰ」公開中

あと少しで沈む

雲の中に沈むでしまった
下の陸地は、来間島です


2007年10月21日

ナマステインディア2007

10/21 
朝から刈谷市の市民会館で開催された「ナマステ・インディア2007in刈谷」のイベントに参加してきました、ナチュラルパートナーズとしては、初めての会社としての参加でした。とはいっても、前日にパンフレットを即席で作り、写真集を一冊置いての簡素なプレゼン。それでも、十分に末っ子をつれての参加で楽しんできました。

右は、NPO法人名古屋ハイデラバード協会理事長のラオさん、中央、私、左が、ハイデラバード協会 理事の鈴木さん。鈴木さんは、施主でもあります。鈴木さんのお招きで、今回のイベントに参加いたしました。

会場に、会社のパンフレットと写真
インドのイベントですので「マザーテレサの真実」の本の著者である、五十嵐さんが理事長のNPO法人 レインボー協会のパンフレットを置きました。

インドへ行った気分の末っ子です

インド舞踊も演じられました
インドで昨年見た舞踊よりも数段上手でした
さすが、インドを代表する、国の舞踊団です


2007年10月20日

宮古島37

10月19日
曇りがちの朝であったが、次第に晴れて、夏日へとなった。帰りの飛行機が午後ということで、来間島へと車で向かった。宿から15分ほどで、東急リゾートのある前浜海岸へ到着。砂だらけの駐車場に車を止めて、白い珊瑚の砂を踏みしめながら海岸へ。誰ひとり季節はずれの浜には、いない。独り占め。珊瑚の欠片を拾いながら、対岸の来間島を写真に撮る。しばらく、ボケっと散歩する。小さな子供連れが、海の家の係員といっしょに大きなパラソルを持って浜へ降りてきた。この人たちは、浜を独占だなと思いつつ、ほほえましく思えた。

車を走らせ、エメラルドグリーンの海を渡る橋を渡る。
横風がすごく、ハンドルを取られながらも来間島に到着。展望台のある駐車場に止める。
RCの展望台には観光客が数人。対岸の宮古島を望む。ここも強風で、まともに立ってることができずに、そそくさと降りた。駐車場の前に古い家屋があり、沖縄の赤瓦と漆喰で固定された典型的な家である。ぐるりと辺りを見たが、この家だけである。普通は、RCの建物ばかりである。
隣接したところに小奇麗な新しい「楽園の果実」というお土産と喫茶を兼ねた建物に入る。
自分のTシャツと、好物のピーナッツ黒糖を購入して、車に戻り、島の北側へ。農道を走るが行き止まり。せっかく海を目の前にして、海水に触れずに帰るのは、もったいないと、橋を宮古島側に渡って、公園に車を停めて、海岸に出て、しばしの水遊び。

お昼は、市内に戻り、渡部さんと那覇から来た介護NPOの下地さんらと待ち合わせして、老舗の宮古うどん屋さんで、3日連続のうどんランチでした。
現場に行き、建物の説明をして、宿へ戻り荷造り。

16:20のANAにて宮古島を離れ、帰路につきました。
現場の上空をちょうど飛行機が飛びますので、よく見えました。
赤い瓦が目印。公共の建物以外では、今は、少なくなったようです。

最後に長濱さんが車内で言った
「住めば都(宮古)で、いいところだよ」
まったくそうだと思いました
「街灯が少ないから犯罪も少ない」

満天の星が眺められる所って、日本では少なくなったことを実感します
夜は暗くて当たり前だし、省エネなんだけど
都会では実行できない現実
この国は、どこかで便利さと引き換えに大切なことをいっぱい失ってきたことを認めなければ


2007年10月19日

宮古島36

10月18日
朝から曇天。今日は、昼から完成検査のために午前中は、オフ。先回は、めいっぱい仕事だったので、島の東を見ていなかったので、ドライブを決め込むことにした。目的地は、東平安名崎。尻尾のように細く伸びた岬。民宿のたかつんやさんから、農道を南にとり、とにかく東に向かって走っていく。カーナビなどいらない小さな島である。とにかく走れば海岸に沿う道路にぶつかる。こんな日本の東の端にも、携帯電話は追っかけてくる。道路の傍らに車を止めてしばし、木の家ネットの事務局のヨハナさんと電話。車を止めたところが、偶然にも花が咲いているところで、黒アゲハ蝶らしき、見たことのない蝶が3種類ほど舞っているのに気づき、車からおりて、写真撮影。

そこから10分ほど、車を走らせ、目指す東平安名崎へ。海岸道路から岬へ伸びる一本道へ。舗装の色が明るい石灰色の象牙色に変わる。強風が吹き、車のハンドルが時々とられ、しっかり握り締める。岬の灯台の100mほど手前に駐車場。観光客がちらほら。一人で訪れている人はどうやら私ひとりのようだ。カメラだけを持って、灯台を目指す。途中の道は、両側に白波の立つ海を見ながら、強風に髪を振り乱して進む。灯台の下で150円の入場料を払い、らせん状の階段を一気に上る。灯台の心臓部のレンズとランプの下のドアから外へ出る。全くすごい風であるが、360度の絶景である。残念ながら、太陽は厚い雲の上。灯台よりまだ岬の突端までは50mくらいあり、そこにベンチとテーブルを発見。そこで休憩をしようと、一気に下る。運動不足から、下り終えるころには、ひざががくがく。コンクリート製の木に模したテーブルの上に胡坐を組んで目をつぶり、瞑想。世界の平和を願いながら、人生を振り返っていると、急に目の前が明るくなり、暖かな陽射しが感じられる。この日初めての太陽が、待っててくれたように、雲を割って顔を出す。心地よい気分に浸りながら、日常の忙しさを忘れ、心と体に自然エネルギーを充電。

東平安名崎の絶景をあとに、近くのゴルフ場のレストランでランチ。海岸の真上に立ったレストランから海岸を眺めながら、昨日と同じ、宮古そばとあずきアイスを頂く。値段は1050円。昨日のそばのほうが、さすがにおいしかった。東の海岸道路を北西に走り現場を目指す。現場まで20分。

12:30に到着し、検査員を待つ。約束の時間13時に、那覇から来た沖縄確認サービスの所長さんによる完成検査の開始。ちょうどお施主さんの渡部さんも来て、検査スタート。内部に入り、図面を広げて、火災報知機の設置と吸気口を確認、ぐるっと室内を見て、外の合併浄化槽が設置されているかを確認され、問題なしということで、完成検査が合格。これで、入居が可能になりました。そのあと水道屋さんと最後の打ち合わせをして、10月末には引越しができそうです。そのあと気象協会の中村さんが見えて、お話をして、夕方、お食事会をすることを約束して解散。私は、市内の土産物市場へ。

宿へ帰って、しばしの休憩。宿の屋上にあがり、おばちゃんと一緒に夕日が海へと沈むのを見る。18:30より現場にて、大工の伊達さん、総合的に手伝っていただいた長濱さんらと渡部さん家族の手作りのお食事会。宿のおばちゃんにも、握っていただいた、まぜご飯のおにぎりを持参した私は、お酒が飲めないので、お茶でがまん。娘さんが、「この家で食べる初めてのご飯だね」という言葉に、初めての食卓に参加できて良かったなあと実感。気がつくと10時半を過ぎて、解散。酔った長濱さんを乗せて、家まで送り、街灯の無い真っ暗な、さとうきび畑の道を三日月と満天の星の元、宿へと向かった。


2007年10月18日

宮古島35

10月17日
中部空港セントレアを8:30に離陸して、那覇に11:00に着、乗り継ぎのために次のゲートへ行くと、待ち時間なしに宮古島行きの搭乗バスに乗った。11:20発予定で乗り込んだが、いつものように滑走路で待たされ、20分遅れで離陸、宮古島に12:20に着陸。夏とは反対側からの着陸で、現場の上を通過する予定で座席位置を確保したが、見ることができなかった。いつも風が強いが今日は北風が10mくらい吹いている。太陽は姿を見せず、くもり。時より、熱帯性の雨が強風とともに降る。
たかつんや(民宿)のおばちゃんの迎えで、宿へ。宿の車を借りて、ひとり地元でおいしと評判の「蔵」という店へランチを食べに。「野菜そば」を食べる。沖縄独特のおいしい出しのそばであった。腹ごしらえもできて、現場へ向かう。
明日は、完成検査ということで、現場を下見。手作りの部分もあり、若干の未完成部分もあるが、満足いった仕上げ。バトンタッチした、大工の伊達さんの仕上げは、愛知の大工と遜色なしのできばえだった。
外壁は、太陽の紫外線と台風の洗礼をあびて、土砂が付着していた。

内部は、壁が中塗り状態で、ひび割れも出て、ほぼ乾いていた。
中塗りの土も、荒壁の土も現場の土で、よくここまでできたと思う。
乾いてみて、しっかりとした壁である。
考えてみれば、まことにすごいことであり、まさにソイルマイルズが0ということになる。
ウッドマイルズは、残念ながら愛知県からなので、近くの山の木というわけにはいかなかった。一時は、愛知から土も送ることを考えたが、宮古島が赤土の島であり、陶器の陶土もとれることを知ったのは設計しはじめてからであった。
石灰岩の島でもあることから、漆喰が作れたら、もっとすごいのにと思った。
残念ながらこんなに豊富に石灰岩があるにもかかわらず、漆喰を作る産業が無いことは残念である。
もはや、コンクリート住宅ばかりの宮古島であるが、漆喰を産業として、外壁に塗れば、エーゲ海の島のようになるのではないだろうか?

床の杉板もきれいに張られ、ぬくもりのある床となった。

キッチンは、簡単に余った材料で枠を組み、ステンレスの天板を乗せただけである。ガス台は、これも木の枠に御影石を置いただけである。壁は、サメジマコーポレーションの珪藻土のタイルを施主施工で張ったものである。

トイレは、環境を配慮して排水を出さないコンポストトイレ。
愛知万博の会場で展示した物を分けていただき、再整備して使用。

洗面ボールとトイレの手洗いは、ホームセンターで購入したステンレスのボールを施主が自ら加工した。お見事である。価格も格安で仕上がった。

いよいよ完成検査が10月18日 13時より那覇から確認検査機関が来る
木造がほとんど無いところで、どのような検査がされるのか、どきどきものである。