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2008年5月30日

間伐した森林

豊田森づくり委員会 現場見学報告

50年生の杉、ヒノキの森林を2年度に渡り間伐した現場(列状間伐)
間伐に際して、旧来の人力搬出ではなく、高性能の林業機械を使用した

18年度の施業面積は13.7haで搬出材積1、267m3売上17,724,000円
平均単価13,988円
これを施業するのにかかった伐採から運搬、販売の経費が
18,874,000円

ということは、1,150,000円の赤字です
しかし、政府から補助金が4,532,000円出て
所有者の元には3,382,000円が残りましたので
とりあえず損はしていないことになりますが、税金を投入してます

どうでしょうか
森林はもはや第一次産業としてなりたってません
補助金なしでは、50年の林業ができないほどに材価は下がってます

これで、間伐したあとに複層林化はしないそうです
間に次の苗を植えても、育ちが悪いからだそうです
次には全部を伐採して、また、最初から全体に植林をするところから始まるようです

採算の合わない場所は天然林に戻していくことですね
今の時点ではほとんどの場所が、放置しなければならない状態ですが

日光が入り健全な状態
下草が生えてくると土砂の流出もなくなります

(続く)


2008年5月29日

180年前に植林した山

豊田森づくり委員会報告
きのうに引き続き、見学レポート
ダウンバーストのあった山からわずか南に1kmほどの稲武の山です
ここは、古橋会という財団法人が管理されている山です
植林記録のある山としては一番古く、約180年前に植林がされました

面積としては、1.5ha
材種は、ひのき、すぎ

最近ここの木を39本伐採して販売をしました
全部の材積は、160m3
市場での売上は、618万円
出材の経費が伐採から運搬を含めて315万円

伐採は、3か月間、葉枯らしをして、玉切りして出材
伐倒は、7月に行い、10月に出材した

平均胸高直径は1m

こんな立派な木を先祖から育てて、残るのは300万円
直径1mを超える1本の木の値段は平均してわずか7万7千円の価値しかありません
これを180年で割ると427円/年

こんな割にあわない産業はほかにあるでしょうか?
180年間の管理費を考えるとぞっとします
1年間で1.5haの山林は16、600円しか利益を生みませんでした
16,600円で1年間の労働賃がでるのでしょうか?
今なら1日しか山へ行けない賃金ですね
1日で1.5haを管理しなければならないから
枝打ちや途中の間伐もしたことになります

これは、最終的に今の時点で利益が出ただけいいほうで
若い木は、無料より安く つまりは、赤字になります

高く材木を買ってあげないと山元は死んでしまいます

ここは、公園となっており、誰でも見ることができます
ハイキングコースもありました

伐採された木の年輪

こんな素晴らしい木が、市場へ出ると
思ったほど高くありません

林業の再生を図るには、多くの問題が、まさに山積です


2008年5月28日

ダウンバースト 被害現場写真

豊田森づくり委員会 (平成20年度第一回会議)
5/26 初夏を思わせる天候
昨年、ダウンバーストによる被害をもたらした現場見学に、委員のメンバーとマイクロバスにて豊田市稲武へ

写真の左隅から順番に三か所に被災地が見える
一直線に左から順番に天然空気爆弾が落ちた(?)跡が見える

森林部分に落ちたので、見事につぶされるように木がなぎ倒されている

民家の裏山が被災地となった
手前の家の屋根も飛び新しく葺き替えられていた

(一番上の写真の真ん中部分の拡大)

回りの木は倒れて折らず
垂直に空気の爆撃を受けたように倒れる木々
台風のようになぎ倒されると周りの木々も斜めに傾くものだがそれが全くない

このように森林に観測された例はほとんどないようである

(一番上の写真の右端の被災地の拡大)

それにしても、不思議な光景
爆発だと付近の木々も少しは傾いていくのが常識
すぐ横の木も傾いていない
上から空気の圧力を受けてその空気は、川の方へすべて抜けたのかも

(一番上の写真の左端の現場)
森林組合の事務所の前の駐車場横の山

確認されている箇所は14か所だそうだ
この地域に集中して
見えない巨人が足で踏み荒らしたごとくである

昔の人なら、神がかり的な現象と思うであろう

竜巻のように巻き込んで、巻上げるのではなく
ところどころに雷のように
気体なのに固形の空気の塊が落ちるというかんじである

森林組合の職員が飛んできたガラスで怪我をされたようだが
その他大きな人的な被害がなかった

もし民家を直撃していたら、大変なことになっていただろうと推測できる


2008年5月27日

無肥料無農薬畑 1

日進市の市民菜園に応募したら、この場所が抽選で選ばれた。
見渡す限り草の生えたこの畑
周りの畑とは全く違う

隣地の畑の人が寄ってきて話しかけてくれた
「誰がここにくるか、と思っていた。前の人は3年間一度も耕してなかったよ」
「その前の人は、肥料をいれて作っていたけど」
そうである、この畑は3年間で手放さなければいけない抽選の畑
前の人と同じようになるかもしれない

その方曰く
「農協が、草だけ刈っていたから、あとはたいへんだよね」
やはり普通の人から見れば大変かも
その人は、興味本位でわざわざ話しかけてきたようだ

しかし、最初から草を取るつもりもなく
草は、肥料とマルチになるからかえってラッキー
どうせ、無肥料無農薬の栽培では、
一年目はうまくいかないことも予想してるので
雑草のなかで、野菜を育てる目的には、ぴったりの畑であった

雑草の中でブロッコリーが育つ
毎朝、青虫をとる
最初は、たくさんいた青虫だが
最近はほとんどいなくなった
雨上がりの朝、ブロッコリーの葉の上をころがる水のしずくがこんなに美しいなんて、忘れていた
最近は、出勤前の7:30から30分間が畑仕事の時間
ちょっと楽しみである

なぜか、最初に葉を食べられて一番小さかったブロッコリー苗が一番早く花をつけた
今は、これをどの段階で収穫すべきか悩んでいる

tomato トマト
まあ、順調なほうかな?
周りの畑とくらべると小さいけど
雑草のなかでもよく育つ

よわよわしい ナス

どうやら、これは失敗みたい
寒かったときに、アンドンをしてあげればよかったかな

キュウリ

最初に植えた苗二本は、かれてしまいましたが
あとは、なんとか育ってます

ペレット燃料の袋をアンドンにしてます

網は、魚網のリサイクルです


2008年5月26日

上棟

味鋺の家5/24 上棟式

野地板
杉の30mmの板です
準防火地域でも、燃えしろの考え方から安全と判断して許可されるようになりました
木は、火にも強いです

フォレストボード
屋根の断熱材です
杉樹皮ボードです
コンスターチで固めてあり、安全です
50mmの厚みがります

断熱材が敷きこまれました
この上にシートを張って、瓦がのります


2008年5月23日

柱立て

味鋺の家
昨日より柱立てが始まりました
棟梁は、簗瀬さん(宮古島へ遠征に行った若手ホープ)
中央に大黒柱(ひのき7寸角)

胴差しを組み入れます
愛知県三河材です

桁の継ぎ手

こちらでは、割継と呼びます
追っかけ大栓継のことです

土台は、檜の4寸角
基礎パッキンは御影石です

今日も、継続して現場が進みます
野地板までは張れる予定です

明日は、雨模様ですが、なんとか雨が降ってほしくないのですが・・・・
今日どこまで組みあがるかが勝負です


2008年5月22日

西郷隆盛の写真?

旧臼杵藩 稲葉家下屋敷
http://www.usuki-kanko.com/

先日、大分の臼杵の町を散歩した続きのお話です
宮大工さん3人との散歩ですので、古い建物の見学がメイン
この建物へは、私は2回目の見学です

この建物の中に、古い写真が飾ってあり、そこになんと、西郷隆盛の写真がありました。真贋は不明です。私の知る限り西郷隆盛と明治天皇は写真が無いということになってますから。秋田の角館でも同じような写真を見たことがありますが、はたして本物なのでしょうか?

ひときわ目立つ大きな顔の人物です
周りには、当時の歴史上の人物が全員写ってます
果たしてこんなふうに集まることがあったのでしょうか?
こんな集合して写真をとる暇があったとは思えませんが・・・・
もし集めたとしたら、この外人さんはよほど政治力があったのでしょうね
そして、日本の徳川幕府討幕になんらかの関係があった・・・・・?
合成写真が簡単にできる時代でもないでしょうからどういう人たちでしょうかね・・・・

拡大 中央の人物が西郷さん?

この写真は、秋田の角館にあったものです
数年前に見学したときに撮ってありました
よく見るとまったく同じ写真でした

でも、真贋はわかりません
こういうことの研究者がいるでしょうから・・・・・

こういう写真を専門に売り歩く人がいたりして・・・
しかし、全く同じ写真が、秋田と大分に伝わっているとは
日本はせまいですね

写真の説明です
(角館の写真)

角館にあった
西郷さん?のひとりで写ってる写真
集合写真の人物とちょと時代が違うような気がしますが・・・・
上野の西郷さんとはちょっと違うかな・・・
まったく別人物かも・・・・西郷さんの親戚・・・とか

西郷さんの写真の真贋は私にはわかりませんが
この時代は、混乱していて、国家的な秘密も多くロマンをかきたてます
今となっては、どちらでもいいのですけどね

今も鹿児島を始め、全国で愛されている西郷さんに敬意を表します

見学した建物の話をしようかと思ってかきはじめたら、脱線してページがなくなりました
今度は、建物について書きます


2008年5月21日

古建具 リユース

玄関ホール
以前の家にも同じ場所にあった建具をそのまま設計に組み入れた
お施主さん曰く
長年使ってきたものなので、新築になっても前の家に入ったような錯覚をして
落ち着ける
先祖から受け継ぐ物を大切に使うことはその家の歴史を後世に伝えることと物を大切にする気持ちや、その物を作った職人さんの魂が伝えられ、文化を継承していくことになる。
左下に見えているケヤキの板は、以前の家の床の間の板を玄関ホール床にリユースしました

玄関座敷
畳の間ではなく、板の間
衝立や火鉢、掛け軸も、前からこの家にあったものです
お仏壇も今回新しく家具として製作しました

軸の掛けてある床の間の板は、前の家の床の間の違い棚のけやき板です
リユースをなるべくこころがけてます
新しいところへ持ってきても本物は、それなりに雰囲気があいます

納戸への入口
この戸もリユースです
少し大き目の戸でしたので、納戸の入口にちょうど良かったです
古戸の大きさにあわせて開口をきめました
横は、新品の板戸です
50年先には同じ色になるでしょう

古建具も現在、ナチュラルパートナーズでは、集めてます


2008年5月20日

鉄の仕事 アイアンワーク

アイアンレンジフード(鍛鉄)
鍛鉄で鍛えた鉄板を地球儀の四分の一状態にしてる
塗装前の状態
写真は製作者の村瀬さん
(私の中学時代の同級生でもある)

完成した換気扇のフード
重厚感がある
このタイプは2台目で今度は少し大き目サイズ

大皿用壁掛け金物
大皿の大きさにあわせて、ひとつひとつ作る
外国では、お皿を壁にかけることがあるので、アメリカ製の皿用金物を試みたが
とてもこの大皿を支えられないために
特注で作ることとした
村瀬製作所の工夫が裏に隠れています

取り付けられた大皿
珪藻土の壁にマッチしました
下地を壁を塗る前にいれておきました

コークスの炉で鉄を熱くして叩いて制作をします

興味のある方は、下記のホームページへ
弊社から車で5分

村瀬製作所HPhttp://www.murase-seisakusho.com/


2008年5月19日

国土交通省の意見交換会に出席して

5/15
早朝に家を出て、名古屋から新幹線で一路東京へ
意見を述べにいくのに、自腹で行かねばならない
新幹線のポイントが貯まって
6/末に切れてしまうポイント1000点使って
新婚旅行以来20年ぶりに人生2度目のグリーン車に乗れた
ちょっぴり気分よしだが、あっという間に東京に着く
東京駅の駅舎を見学して時間調整し
秋田から来る加藤さんと合流して
赤坂見附へ向かうが
二人とも田舎もので、丸の内線を池袋方面に乗車
気がつくと反対方向の本郷まで来てしまって
あわてて向いのホームへ
結局、待ち合わせぎりぎりの12時に到着
結局、一番に到着した

赤坂プリンスで一番安い1800円のパスタランチを仲間と食べて
(東京という街で食べる食事は高いが、それなりにおいしかった)
隣の都道府県会館での会議に向かう
広大な会議室にロの字に置かれた机とイス
窓からは、大都会の摩天楼と緑
テレビのドラマで見るような光景

会議の内容は、私的に公表できないということが会議の冒頭で述べられ
今回は、内容については記述できないが
日本中から集まった伝統構法関係の建築関係者と学者さんと官僚との会議がなされた
詳細な議事録については、後日発表される予定である
私たちとしては、伝統構法がやっと国に認識して
建築基準法に単なる木造とは違うレベルで法的に位置づけられる
最初のステップとなることに
期待している

国土交通省が今回ここまで真剣に考えて
伝統構法を認知しようとしていることに民間の私たちも意見が
述べれることは雲の上に飛行機で登った気分である
これを推進している官僚に拍手!

昨日、ある方から頂いたメールにあった格言であるが
今回の会議にあてはまる

時代によって

秩序が確立している時代なら、あくまでも正義を貫いて生きよ。
秩序が混乱している時代なら柔軟な処世を心がけよ。
秩序が失われた末世においては、正義を貫きながらしかも柔軟な処世を心がけよ。

対人関係でも、

善人に対しては寛容、
悪人に対しては厳格な態度で臨み、
普通の人に対しては寛容と厳格の両面を使いわけなければならない。

今回の会議でも一方的に正義感を振りかざして
自分こそが一番と思い込んでいるグループの人たちもいたが

寛容な態度で、みんなと同じ歩調で歩んでほしいものである
人の貴重な時という財産を奪うのは泥棒と同じ