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2016年1月12日

【重文】掛川城御殿の修理が始まります

静岡県掛川市の掛川城御殿の修理工事に入ります
今日は、事前の打ち合わせで現場の修理箇所の確認です
掛川城の御殿は、現存する御殿としては、全国でも珍しく京都の二条城のほか4か所しかありません
江戸後期の建築で、重要文化財に指定されております
今回は、弊社は、下請けとして、大工工事、左官工事を請け負います
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玄関の束石が劣化しており今回取替をいたします
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玄関の外部の床板を修理します
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面戸漆喰のはがれの修理をします
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外壁の漆喰や、下見板の劣化した部分を修理します
他に谷樋の腐れや、敷居や建具の修理もいたします
年度末までかかりそうです
来週から本格的に修理工事に突入です
(文責 大江)


2009年4月7日

桜満開 掛川城

今日は、2月に修繕した掛川城へ今年度の修復予定箇所の下見に行ってきました。
桜が満開で観光客もたくさん来てました
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2月に修復した屋根の上の桜
今は一番良いのだが、この桜の落ち葉がこの屋根を腐らせる原因にもなる
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2009年3月23日

掛川城土塀屋根修復

2009/3/23
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ブログが止まっていた時期に、掛川城の土塀の修復工事をしてきました
これは、以前の会社で工事監理した場所で、大工さんは、施工したときと同じ藤井さんです
今回は、予算の都合もあり、かなり傷んだ部分のみの改修です
四足門に向って左側の部分で、傷んだ理由は、桜の木が大きくなったからです
桜の木は、春の今の次期には、最高なのですが、この花や葉が土塀の屋根の上に落ちて
朽ち果てて、土になり、屋根を腐らせます
15年前は、こんなに桜の木が大きくなく、土塀の上まで伸びてきていませんでした
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屋根の棟部分はヒノキです
15年経っても、断面を見ると1mmくらいしか色が変わっておらず
中は全く腐ってません
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腐るのは、継ぎ手の部分です
ここに水とゴミが入りこんで腐らせます
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葺き板部分は、杉の赤身板を使用してます
葺き板のジョイント部分に目板(ひのき)をつけていきます
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これで、また15年は持つと思います


2009年2月4日

掛川城 土塀屋根修復開始

2/3 節分
昨日は、藤井棟梁と共に、以前調査した掛川城の土塀の修復にかかるための下準備に伺った
年数も経ったので、仕方ないのだが、建築当時(平成6年)には無かった桜の木が大きくなり、落ち葉が屋根の上に落ちて溜まり、木の屋根を腐らせる原因となっている

同じところの塀でも桜の木の無いところは、痛みが少ないのだが、この写真のように桜の木の下は、コケが生えている

写真を撮るには、趣があるのだが、土塀の構造まで壊してしまう前に修復が必要となるために今回は、ほとんどを交換する

杉の赤身の部分の屋根は、長持ちをする

住宅のデッキにもよく使用するが、釘のまわりなどは腐りやすい

今月中旬より、現場での作業を開始します


2008年9月26日

掛川城 修理調査

掛川城 四足門横の土塀
 
以前、この土塀の監理にあたり、もうあれから十数年経とうとしている
風情もでてきた土塀であるが、建築的には、傷んでいる
もともと絵図に残っていたように板葺きの屋根で復元した忠実な部分であるので、そろそろ修理の時期である。

屋根は杉の赤身板で葺いたのであるが、桜の木が大きくなり、落葉がまともに屋根の上に積もるために、他の部分よりも痛みやすい

このような板葺きの屋根は珍しいので是非とも残してほしいものである

写真に写っているのは、藤井棟梁とスタッフの梶谷

大きな桜の木が土塀にかぶる

春の桜の季節は美しいのだが・・・・・

斜めに石垣に沿って上がる土塀

門は四足門 この門も藤井棟梁の手によるもの


2008年2月21日

掛川城

掛川城大手門

以前の会社で木工事を請けて、必死の思いで藤井棟梁と建てた建物である
10年以上経て、それなり風格がでてきた
また、それなりに痛みがでており、修繕の必要性も出てきた
今回は、本丸の修繕について、現場での下見となった

本丸天守
天守の工事は鹿島建設の元請けで、工事がなされ、我々は、天守以外の門、塀の木工事と左官工事を下請けで請け負った。

NHKの大河ドラマの際に舞台となったこともあり、一部修繕がなされている
土塀の屋根は、杉の赤身で葺いたので、10年以上経過して、一部劣化しているが、条件のいい場所では、腐れもなく残っている。
まだ、10年は十分に大丈夫な場所が多い

木の屋根にした経緯は、本丸周りだけが絵図で瓦の絵があったので、その他の部分は木板としたようだ。