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インド旅行記6

8/25 22:00にコルカタより寝台車に乗り8/26 5:30にガヤに到着しました。寝台車は、一等車であり、冷房車であった。この冷房がくせもので、インドの冷房は異常に寒い。冷房は効いてないと冷房じゃないという概念があり、私もこのために長袖のフリースを持っていった。シーツは2枚と毛布、枕が配られる。シーツの間に寝て、毛布をかける。2段ベッドとなっており、下段は、座席の背もたれを倒すとベッドになる。
 ガヤの駅に、寝不足気味に到着直後の写真(後ろに乗ってきた列車)。まだ薄暗い。ひげが少しのびかけている。ホテルに髭剃りが無いために、この機会に初めて伸ばし始めた。

スーツケースはポーターさんが運んでくれる。頭の上に布を巻いて、スーツケースを2~3個を載せてバスまで移動。

混沌とした、ガヤの駅前。舗装はしてなく、大きな水溜りに、人力車、オートリクシャー、牛、豚、ヤギ・・・・インドでは普通の風景。しかし、こんな早朝になんでこんなに駅前に人がいるのか不思議。さすが、10億人の国。

ガヤの駅舎。道端で寝ている人をみかけるのも慣れてきた。気軽に手を振ってくれた赤シャツのお兄さん。この人の仕事は、たぶんポーターさん。右のスカートのような腰巻した人は、なんでここにいるのか?わかんない?
何をするわけでもなく駅に集まっている人々がいる。それぞれが分業されたインド人は、それぞれの仕事以外はいっさい手をださないから、遊んでいるようにもみえる。
ここから、バスで仏陀の悟りの地であるブッダ・ガヤへ向けて出発。次回に続く。・・・・

8/25 午後よりバスにてマザーテレサの施設から移動。途中、中華料理のレストランにてランチを済ませ、ガンジス河のほとりにある、ラーマクリシュナ ミッションへ向かう。午後4時からの開門のために、ガンジス河の遊覧船に乗る。遊覧船といっても、15人乗ったらいっぱいの木造船だった。ラーマクリシュナは、思想家で、宗教の枠を超えた思想をもち、今も世界中にその支部がある。ここは、敷地内にカメラを持ち込めことができなかったので、ガンジス河からの撮影となった。詳しい思想のことは、よく勉強してないので、わからない。中心となる建物は、仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教の建物の特徴を随所にいれた設計となっていた。この中で、しばし瞑想の時間をとり、心を澄ますことができた。園内は別世界のようにきれいに掃除がなされ、整備されていた。

ガンジス河は、今雨季で満水状態らしい
船の後ろに見えるのがラーマクリシュナ ミッションの中心建物

ガンジス河は、沐浴の場所が多くあり、階段がいくつも河へと続いている
石鹸で頭まで洗っているので、お風呂代わりにしているようだ

漁師さん 帆かけ船でのんびり魚をとっている
エンジンなしの木造船

竹の集積場 この竹は主に建築現場の足場に用いられている
運搬は大八車 時代がとまっているようだ

インド旅行記4

8/25 晴天の中、昨日お会いした五十嵐さんのご案内にて、私たち一行33人は、マザー・テレサの奉仕活動の拠点である本部を訪ねた。コルカタ市内にあり、たくさんのマザーの活動に心打たれた修道女さんたちが暮らし、世界に4000人近くの方が所属して世界中の同じような場所で活動をされている。建物内は、写真撮影が禁止されているために、道路からの外観のみとなる。マリア像が窓の上から道路側を見下ろしている。この窓の部屋は、修道女たちのお祈りの部屋となっていた。道路から細い路地を入り、入り口から回り込むようにこの建物の中に入る。この建物の1階にマザー・テレサは眠っていた。

写真撮影の許可を頂き、マザーの眠るお墓の前で。マリーゴールドの花輪をささげた。ここで、マザーのメダイを頂いた。このあと、日本人の修道女の方より、マザーの尊い
教えを聞く機会に恵まれた。この建物の裏側で、マザーの暮らされたお部屋も拝見することができ、生前にお使いになった品々も、お隣の部屋で拝見することができた。
20年前にカトリック教会で2年間勉強させて頂いたときのことを思い出したり、今年の1月にオリビア・ハッセー主演のマザー・テレサの映画を見たときに、映画の中でマザーが持っていた木の柄の布のバッグが実際に展示してあることに感動した。
マザーが、自分自身を捨て、すべてを困っている人々に献身されたことは、宗教という枠を超えて、人間として、この世ですべきことを教わった思いでいっぱいである。

この施設は、本部からほど近い場所にあり、「障害を持った子供たちの施設」と、「里親を待つ子供たちの施設」であった。内部を訪問させていただいたが、世界中から人々がボランテイアに来ていて、献身的な愛情を持って子供たちに接している姿を拝見して頭の下がる思いであった。

この施設は、「死を待つ人々の家」で、大人の重症患者さんの施設で、遺体安置所もあり、内部を見せていただいたが、コメントのしようがない。

今の日本は、あまりにも平和であり、ボケているとしか思えないことがたくさんあり、情けない気分になった。この日も日本の若者が、ボランテイアに参加しに初めてこの施設に案内されていた。日本の若者も、まだまだ、捨てたものではないぞという思いもあった。
生きるために必死でいる人々を拝見し、私のようなつかの間の訪問者が語ることなど許されないかもしれないが、常にこのような意識をもって、自分で始めれることを継続していきたいと思った。

インド旅日記3

8/24 午後より日本人で、マザー・テレサの元で20年近く、ボランテイア活動を続けられた五十嵐 薫さんの設立された孤児の家を訪問いたしました。五十嵐さんは、マザー・テレサのお亡くなりになった日に対面している数少ない人のお一人です。レインボーホームと名付けられた孤児たちの家は、日本のNPO法人 レインボー国際協会が運営しております。以下 レインボー・ホームのHPより抜粋 (五十嵐はマザー・テレサに相談しました。「マザーは貧しい人の最も貧しい人のために衣食住を与えているけど、もう一つ私は彼らにお母さんを与えたいのです」。

マザー・テレサは厳しい目で五十嵐を見据え、「あなたに私と同じことができますか?」と聞きました。「とんでもない。自分にマザーと同じことなんてできるものですか」。マザー・テレサはおっしゃいました。「そうでしょう。あなたに私と同じことはできない。私にもあなたと同じことはできない。人にはそれぞれ神様に与えられたミッションがあります。まず祈りなさい。あなたの祈りが神様に通じれば、願いは必ず叶えられます」。マザーがあの世に帰る3年前の1994年のことでした。

マザー・テレサは、五十嵐に「祈ること」を教えてくれました。募金活動もしませんでした。祈っていたら本当にレインボー・ホームはできあがったのです。
よく自分は人に聞かれます。「なぜインドなの?日本だって良かったじゃない?」。でも自分にはインドしかなかったのです。なぜならそこにはマザー・テレサがいたから。そして多くの日本人が信仰する仏教の源であるお釈迦様の生まれた国だったから。)

写真左で、にこやかに子供たちを紹介される五十嵐さん。
子供たちの生い立ちは、いろいろだけど、子供たちの吸い込まれそうな純粋な眼差しに、心は打たれないはずもなく、自分自身のことも振り返りながら、子供たちに会えたことに感謝。

子供たちを励ましに来たのではなく、逆に子供たちを見て、気づくことができ、勇気をいただいた。
現在、30人の孤児たちが共同で暮らす。
施設は、無料の病院も併設されている。

この3人の女の子は、中学生。将来は、英語の先生,お医者さんになりたいとのこと。はにかみながら、質問に答えてくれた。

この男の子は、囲碁が上達して、インド代表として日本へも来たことがある。
将来が楽しみな子供たちである。

五十嵐さんを通じて、このお話に興味を持たれた方は是非、HPにアクセスし
てご協力をお願い申しあげます。

五十嵐さんからの言葉で印象的な最後の言葉は、マザー・テレサは、「カルカッタはあなたの街にもある。あなたの街でカルカッタを探しなさい」といわれたそうだ。
まずは、身の回りで実行していきたい。

インド旅日記2

8/24 旅行3日目コルカタ市内。雨季というが、思ったほど雨も降らず、曇りがちであり、名古屋の夏と大差なし。

写真1は、モイダン公園内にあるヴィクトリア記念堂。ときの領事が、ヴィクトリア女王の権威を象徴するために建設した白亜の殿堂である。ヴィクトリア女王は一度もここへ来ることはなかったらしい。タージマハールをモデルに純白の大理石で化粧されている。完成は1921年。コルカタ市内で唯一のまとまった緑地帯で、ここだけが別世界のような、整備された地区。地元の若者のデートコースらしい。

パレシュナート寺院。バドリダース・テンプルの庭に一画にあるジャイナ寺院。熱心な信者が、祈りをささげている。整備された庭が美しかった。

同寺院の階段のモザイク。非常に丁寧に作られていて、ほかの一般の建物のいいかげんさと対比すると驚く。ここは、裸足で歩く。
インドでは、裸足ですでに歩いている人がいて、どこからが、裸足にならなければならないか迷うときもあるが、このような神聖な場所は、ほとんど裸足のようであった。

屋根にも、ガラスがモザイク状に透けてみえるように、鉄板がくり抜いてある。
ステンドグラスとは違う。右の壁の部分は、きれいにモザイクが施されている。

手すり部分にはめられた、白大理石の板をくり抜いて透かし彫りが見事である。職人さんが精魂こめて造ったことがよくわかる。

インド旅日記1 

20年ぶりの長期休暇で、12日間をインドのガンジス河を下流から上流へ、仏教、ジャイナ教、ヒンズー教、キリスト教の聖地を訪ねる旅でした。(yogaの先生 龍村修氏の企画旅行に参加 総勢33人)独立して、時間を調整させて頂き、心の勉強と人生の転換点を確認する旅でした。インドという国のエネルギーに圧倒され、なぜ仏教が興り、お釈迦さまの教えが日本まで伝わったのか、実際に現地を見て感動ばかりでした。同時にインドの人々の真剣な眼差しが忘れられないすばらしい時間を頂きました。
 初日は、コルカタ(旧名 カルカッタ)から、ガンジス河がベンガル湾にそそぐ聖地ガンガサーガルへバスとボート、ジープを乗り継いで向かいました。
写真1は、カルカッタ市内の平均的な町の風景です

ガンガサーガルへの途中の農家です
土の壁と萱の屋根の自然住宅です
軸組みは木造でした

港で会った女の子
バスがついたところからずっとついてきました
ここは、インドでもあまり観光客の来ないところで外国人が珍しいようでした

ヒンズー教の寺院です
裸足になって、内部に入り、お参りをして、額に紅をつけてもらいました。
ここは、ほとんど海抜が0mで、時々水につかっているようでした。
広場の周りにはお土産屋さんがたくさんあり、子供たちもついてきました。

この寺院からまっすぐ2kmほど歩いた海の中に、聖地があります。
ここは、一年に一度しか海から姿を現しませんので、この日は遠くから眺めるだけでした。(毎年1月に見えるそうです)
この場所は、ベンガル湾にたくさんある島の海側です。
沈みそうなボートにたくさんの人を乗せて島に渡りました。

ガンジス河の広大さに感動しました。
般若波羅密の世界です。
ここが旅のスタートです。

暑い日が続きますね。

我が家には、クーラーというものが1台しかなく、娘の部屋だけで、家の中に扇風機が5台置いてあります。汗をかくほうが健康のためと思い、居間のクーラーは4年前にはずしてしまいました。
寝苦しい夜ばかりですが、なんとか誰も風邪を引くこともなく健康です。でも、暑くて寝不足で、果たして健康なのか疑問ですが・・・

独立したら、なにもかも自分でするようになり、時間が足りません。おかげさまでというしかないほど、忙しい毎日です。それに加え、若干体調も崩して、通院したり、私事で、葬儀も加わり、日程が詰んでしまいました。ブログの更新する時間もなく、旧知の友人より、入院でもしたのではないかと、心遣いの電話を昨日頂きました。”とりあえず、ブログを更新したら”とのアドバイスにて、本日、ブログを更新してます。

こんなに忙しくなることが予想できずに、8月22日から9月2日まで、海外への予定を5月に組んでしまい、余計にタイトになっています。

というわけで、しばらくブログはお休み
9月より海外での写真をいっぱい撮ってきますので、いっぱい報告させていただきたいと思います。

おめでとうございます
木の家ネットの運営委員であり、「さつきとメイの家」を建築した中村武司親方の結婚パーテイが24(土)19:00にありました。木の家ネットのメンバーも多数集まり、にぎやかにパーテイはくりひろげられました。

ケーキ入刀ならぬ、「金輪継ぎ」の込み栓の叩き込みがお二人の記念としてされました。「金輪継ぎ」は、「金輪際離れないように」という固い二人の誓いを示しているそうです。
この継ぎ手に参加者の寄せ書きをしました。
お幸せになってください。
この継ぎ手を静岡からわざわざ、新幹線の中をかついで来て頂いた北山さんにも敬意を表します。

中村さんインタビュー http://kino-ie.net/interview_021.html

植物燃料自動車

先日、ある集いで知り合った小岩さんは岐阜県白川町で実験的自然農を実践しておられます。なかでもエコロジーに徹してるのは、自動車の燃料です。
廃油を町の給食センターから譲りうけ、自宅で濾して自動車の燃料として使用。車はVWのゴルフですが、ディーゼル車のエンジンに、少し改造を加えた植物油専用の自動車です。
排気ガスは、鼻を近づけるとてんぷらの香りがして、無害です。
こんな二人の生活にあこがれます。

詳しくは
http://park16.wakwak.com/~koiwa/svo/svo-1.htm

車の後ろにいつも予備の燃料タンクを積んで走ってるそうです
しかし、たいへんだなあ....

エコを楽しんでるのに感銘しました

純朴で自然農的百姓暮らしを楽しんでるご夫婦(写真右ー正博さん、左ー愛さんです。
奥様はいつも横笛を持って、楽しそうに踊ってるようです。

小岩さんHP http://park16.wakwak.com/~koiwa/

18日の午後より名古屋市西区の円頓寺(えんどうじ)商店街にある自由空間「藁の」にて、松尾流代表後嗣の関山宗久氏による茶会が企画されたのに参加してきました。
今回は、友人である鍛鉄工芸家の村瀬氏とガラス工芸家の佐川氏の作品も展示されかの間の安らぎを体験してきました。

「藁の棲」は、名工大の学生さんたちが地元の商店街の街づくりのために協力してできた拠点です。内装はストローベールと土壁で作られた環境に配慮された空間です。
松尾流代表後嗣の関山宗久氏が自らお茶をたてていただきました。

地元のお菓子屋さんの手作りの上品な和菓子です

村瀬氏の照明と佐川氏のガラスとのコラボレーション作品が展示されてました

甲府城の定例会議の前に見学してきました

恵林寺は、臨済宗妙心寺派を代表する山梨の名刹です。元徳二年 (1330 年)、名僧夢窓疎石(夢窓国師)によって開山されました。戦国時代、甲斐の武田信玄が快川国師に帰依し、菩提寺としました。信玄のお墓もあります。武田家滅亡の直後、織田信長軍によって焼き打ちされ、全山灰塵としましたが、後に徳川家康によって再建され、徳川幕府にて要職を勤めた柳沢家によっても保護され隆盛を極めました。

庫裏の玄関土間
大黒柱はケヤキで、約2尺*約1尺の長方形でした
小屋組みは圧巻です

赤い門は重要文化財です

夢窓国師作の石庭
国指定の史跡で、鎌倉時代の禅様式をよく伝える名園と言われています。「心地庭」と呼ばれてます。
寒くて池が凍ってました。春に訪れたら桜がきれいだろうなと思いました。

信玄のお墓の横に樹齢数百年の杉木立があります
歴史の重みを感じます
まっすぐに伸びたすばらしい杉でした
木材にしたらすごいだろうなあと
建築屋の発想でした(笑)

回廊東南より金堂と五重の塔を望む
日本に国宝の建物は213棟
そのうち法隆寺に 18棟ある

光りつけ

回廊の○柱がみごとに光りつけされている
ひかりつけとは、自然の基礎石に石を削ることなく
木に石の形を写して、ぴったりとあわせる技術です
先人の匠のすばらしさに感嘆です
実際に自分でするとなかなかあいません

土台もひかりつけされてます

柱は根継ぎがしてありました
千年以上もの間
構造計算もなく建物は持つのです

昨今の建築士の問題は、なげかわしいものです
大工の経験に勝るものはないでしょう

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