土塀の瓦を復元しますので、既存の瓦と同じ物としたいところですが
時代も変わり、納まりも変えて2寸長い瓦とします
瓦屋さんは、愛知県高浜市の白鳳瓦さんです
徳川家の家紋である三つ葉葵の御紋の微細な違いを復元することになります
三つ葉葵といっても、それぞれで、平面の状態であれば同じなのですが
立体になると様々にあることを知りました
粘土で造り、金型を制作して造りますが、瓦は陶器なので、焼くと11%小さくなります
本当に大変な手作業により型を制作してます
この瓦は、表面が割れていますが、これは、凍てて表面が飛んでしまう現象です
きれいに磨きのかかった丁寧につくられた瓦ほど、表面が緻密になり、内部と差ができて、こういう現象がおきます
いぶし瓦は、最初は、銀色ですが、この銀色の部分はわずか1ミクロンしかありませんので
10年ほどすると黒くなってくるそうです
型をはずすときに使用する雲母のきらきらが、100年以上経っても、重なり部分の水上には、残ってました
100年以上経っても、三つ葉葵の紋がきれいに残っている瓦のひとつですが、
当時は木型だったので、数をつくるうちに不鮮明になっていきます
きれいなものが入り口付近に多いような気がしました
これとほぼ同じものを復元していきます
来年度には、瓦を葺いていきますので、是非、見学に起こしください
(大江)
岡崎の家が完成して引き渡しをしました
特徴はなんといっても、石場建ての家です
昔ながらの基礎は御影石でできております
ベタ基礎はなく、床下は、ビオトープになるように
山砂敷だけです
なぜ石場建てなのかというと
伝統構法の家の実大振動台実大実験においても
証明されたように
激震であっても
入力してくる地震動を逃し、
石の上で建物が移動して全ての地震力を受け止めないようになってるからです
仮に移動してもジャッキで動かせるノウハウも実験で学びました
東側から見た外観
玄関ポーチも建物と同様に石場建てにして、一緒に動いた場合も障害にならないようにしてます
階段は、石で作りました
玄関内部の床は、土間にせず、栗板を張りました
この部分も床下があります
浴室の床は、FRP防水をして、秋田の十和田石を張り床を仕上げました。壁は、青森ヒバを使用しました。
浴槽は、長野県奈良井の春野屋さんで漆を塗り製作してもらいました
キッチンは、特注の家具で作りました
南側の濡れ縁も石場建てで、動きを阻害しないように工夫しております
豊田市の深田山神社の唐破風の下地ができあがりました
近況を動画にしてます
藤井棟梁が茅負のあたりを施工してます
化粧の野地板を張ってます
化粧の野地板が張れました
銅板下地の屋根を作るための骨組みです
丸くなっている屋根の下地は、こうやって下地を組んで作ります
この上に銅板を張っていきますが、これまた、技術のいる仕事です
(大江忍)
岡崎市の松應寺の松平広忠公御廟所土塀工事がいよいよ着工しております
版築の実験を重ね、今回は、いよいよ本番です
本番では、型枠は、300巾X30厚X4000の杉板にしました
既存部分が残っているので、機械は使えず、手作業です
左官の川口さんがリーダーです
型枠から10cmくらいの部分は、既設でも崩して、新しい版築が自立できるようにします
土は、岡崎市内の赤土を使用してます。2トン車で使用する分だけ、場内に運び、そこから運搬車で運び込みます
藁縄を中塗りのときの落下防止のためセパ穴に通しておく
既存の塀を除去した土は、中塗り土として再利用するため、場内に保管する
笹の根などが入り込んだ部分は、根を除去するために既存塀部分は、取り除く
ひびわれなどの部分に根が入り込み、構造的にも弱くなっている部分は除却する
根石の隙間から笹の根が侵入している
発掘調査もしながらの作業となり、今週は、休工となってます
(大江 忍)
豊田市の深田山神社の拝殿を足助の山奥の加工場で加工中
来月に上棟をひかえ、刻みが進んでいます
柱にほぞ穴をあけてます
丸柱に藤井棟梁は、墨付けしてます
土台部分の柱の根元の刻みです
ノミで丁寧に刻みます
来月上棟するのが楽しみです
2018/5/22に執り行われました
豊田市深田山神社の上棟式についてレポートします
仮設の上屋をつくり、内部に本殿を組み立てております
式のためにテントを前に張りました
祭壇にお供えとカケヤと宛木を並べます
参列者は、手を清めてからテントに入ります
神事が始まりました
藤井棟梁をはじめ大工たちも全員参列します
記録のための動画を撮影します
棟木をカケヤで叩く神事です
神主様よりご挨拶の言葉をいただきました
とよた松坂屋の8階にてウッドトイカーニバールINとよた開催
受付開始と同時にヘルメットと手袋をします
共同作業で貫を通します
若いスタッフ二名(名城大学4年の辻くんと大江の次男の陽平です)
くむんだ~愛知の旗を今回から会場に設置しました
完成間近のくむんだ~
完成したらみんなで集合写真
会場に敷かれた豊田の杉と桧で作られた木のタイルカーペット
フォレストボード(杉樹皮ボード)の上に貼られた商品です
弊社でも販売予定してます(実用新案許可済み 試作品の展示)
2016/10/8~9と豊田市の産業文化センターで行われました
ウッドトイカーニバルINとよた
のイベントにて、
木のジャングルジム「くむんだー」
を初めてこの地方でお披露目しました
「くむんだー」は、木の家ネットの仲間である
滋賀の川村さんが考案されたもので、
今回は、豊田森林課からのご依頼で
豊田市産のスギを使用して、くむんだーを製作しました
くむんだーは、日本の伝統的な大工さんの手法を用いて
金物を使わずに組み立てるジャングルジムです
子供さんたちに、大工さんの仕事の疑似体験をしてもらい
ジャングルジムで遊ぶというより
組み立てと解体を体験するアトラクションです
今回は、2セットを用意しました
1セットで、参加できる人数は、子供さん(3歳位から9歳くらいまで)
保護者も含めると約20名で組み立て、解体を約90分で行いました
一日3回で、2セットを2日間で行いましたので、約240名の方に参加いただきました
両日とも、ほぼ午前中で予約がいっぱいとなり
無事に怪我もなくイベントを終了することができました
子どもたちの真剣な眼差しと笑顔に救われた二日間でした
(文責 大江忍)
安城市にて伊勢湾台風の年に建てられました鴨居差の民家を
耐震改修とバリアフリー化をしております
市役所に耐震改修の申請を行い、また、介護保険からは、手すりやバリアフリー化による補助金がいただけます
この建物は、昭和55年頃に道路拡張のために曳家をされ
外周部のみにコンクリート基礎が施され、そのうえに載っております
内部は、独立基礎のみでした
今回は、土台の切れているところや根固めの無い部分に補強を加え
コンクリートブロックの高基礎も除去し、耐震壁を構造計算に沿って加えていきます
すでに固定してあることから、壁量計算での対応となります
和室の畳をあげたところです
一部の部屋は、板張りに変更です
独立基礎が、一斗缶で作られてました
当時としては、こういう方法もあったのでしょう
地面と5CMも上がってなかった土台ですが、クモの巣がいっぱいあったことにより
シロアリの侵入がまったくありませんでした
現場には、耐震改修の補助金をいただいての工事であることを示す
旗を立てるようにと市役所から指示がでました
改築工事は、新築よりも大変な部分があります
壁の中の様子など、仕上げがしてありますとよく見えないからです
今回のようにスケルトンにして再生することは、今後、資源を大切にし、伝統構法技術を継承していくうえでも
大切なことだと思います
今回のお施主様のご決断に感謝するとともに
このあとまた、50年この建物を使用していただけるように
未来につなげる施工をしたいと思います
(文責 大江)
伝統的構法の設計法を作成するのに3年間の検討委員会の責任者をさせていただきました
昨年度、一年間は、委員や国交省からの質疑回答に費やし、報告が遅れましたが
やっと、7/12に報告することができるようになりました
これでも、まだ、道半ばで、本当に国の組織の厚い壁に神経をすり減らしております
http://green-arch.or.jp/dentoh/news.html#a42
申込フォーム
http://green-arch.or.jp/dentoh/form/form.cgi
まだ、継続して検討を重ねることが続くかと思いますが、
伝統構法を世界遺産にするまでは、頑張りたいと思います
10/8-10
4月に訪れてから、震災後2度目の訪問です
木の家ネットの総会のプレツアーとして、木の家ネットの有志と訪れました
初日(10/8)は、平泉周辺を訪ねて、
中尊寺と重要文化財の有壁本陣と登録文化財の横屋酒造を訪ねて、
被災状況を拝見してまいりました。
息子も同行しました
多くの蔵の外壁が落ちており、修復が大変だなと感じましたが、倒壊した建物はなく
伝統構法の真の強さをみました
左官さんの仕事で修復できそうなので、予算はかかりそうですが、ゆっくりと修復されることを望みます
横屋酒造蔵の様子
菅野さんが横屋酒造の建物を案内してくださいました
夕方になりましたが、陸前高田に到着しました
10/9朝から被災地を菅野照夫さんの案内で廻りました
津波の瞬間をこの場所から見ていたと語る菅野さん
湾の中に浮かぶ小島がすっぽりと隠れるまで海がもりあがった
決壊してしまった堤防
この御神木の杉だけは、奇跡的に助かったので、生きてほしいと願いますが、葉の色が茶色になっていました。
残念ですが、枯れてしまうかもしれません。命をなんとか繋いでほしいと願います。
4月に訪ねたときと同じ場所から撮影しましたが、すっかりがれきがなくなっていました
再生される日を待ち望みます
復興のシンボルとして有名になった
一本だけ残った松の木です
遠くからもよくみえます
川の中をみると
サケの大群が遡上してきており、川面はサケでびっしりでした
自然のたくましさに感動しました
サケのように、被災されたこの街が早く復興されることを願います
政府の対応の遅さには、正直がっかりしてます
この国は、国民をまた見捨てようとしてます
信頼できる政府は、いつになったらできるのでしょうか?
原発に私は、反対です。
オール電化や電力会社に反対しているのではなく、手法として、子供たちに大きなツケを送るエネルギーの生み出し方に大きな問題がありますからその部分に反対してます。
電力会社の方だって、本当は、そんなところに勤めたくないのが本音ではないでしょうか。
あの事故現場に送りだす家族の気持ちはどんなでしょうか。
ましてや、同じ建築に従事するものとして、あの事故現場で働く方のことを考えると頭がさがりぱなしです。
できれば、そんな特攻隊のようなことはしたくないのが人情だと思います。
経済優先のこの考えを捨て、虚と欲で固められた原発に今こそ反対の意志を国民が表すべきです
この国だけでなく、地球を愛する全生命のために!
被災地を訪ねて、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると表明しても
よい歳になったかなと思ってます
(大江忍)
6/5に京都のひとまち交流館にてフォーラムを開催してきました
なかなか個人のブログを書くことができませんでしたがやっと時間がとれて書けます
会場には、満員の聴衆で、主催者挨拶をしなければならず
少しあがっておりましたが、順調に時間通りに、皆さまのおかげで
終了できました
詳しくは、HPで
http://www.green-arch.or.jp/dentoh/index.html
90名の委員の先生方とやりとりしながら
なんとかここまで来て
情報公開の最初としてイベントが終わりました
でも、これからが始まりで、実務者からの要望と基準法の壁を乗り越えながら、新しい設計法を築いていかねばなりません
昨年までの委員会の雰囲気とはガラッと変わって
委員の方が生き生きと意見交換しており、目標がみえて
それに向かっていくことができる雰囲気がなんともいえません
実務者も参加しながら、伝統構法の家を普通につくれる時代がくるようにしたいです。
考えてみれば、こんな普通のことができない国は世界で日本だけでしょう
文化伝統を軽んじているツケがここにきて出て
京都の町並みもどんどん
マンションに置き換わっていくのが現状です
建築の法律だけ改正されても
たぶん街並みは残りません
税制や都市計画も変えないと片手落ちであると思っております