しばらくインド旅行記を休んでいましたが、少し時間がとれましたので続けたいと思います。なんとか、帰国までを完結したいと思ってます。まだ、半分くらいなので。ゆっくり、おつきあいください。忍
アラハバード
ベナレスからバスで3時間の予定が5時間以上かかって到着。
インドでは渋滞は日常であるが、河の橋があるとこれはまた交通の要所であるから異常に混む。それを文句もいわずに気長に待つインドの人々。
警察も交通整理するが、手におえず、カフェでお茶しながら、渋滞を眺めてる。道は、でこぼこで、水溜りだらけ。
インド北部ウッタルプラデシュ州のアラハバード
ここは、ヒンドゥー教の聖なる地である
たくさんの信者が沐浴に訪れる
それは、ガンジス川、ヤムナ川、そして地下を流れるといわれる伝説ののサラスヴァティー川が合流する点(サンガム)を目指して世界中から集まる
ここでは、マハ・クンブ・メラという最大のお祭りが1月から2月にかけて行われる。このときは、数千万人が沐浴するという(本当かいな)
インドならありえるかな。訪れた日は空いていた。
舟乗り場横で、紅を売るおばさん
たくさんある額は、ヒンドゥーの神様の絵である
額につける紅の色は、鮮やかな色が美しい
舟乗り場から、手こぎボートで合流点へと向かう
一人の漕ぎ手で約10人が乗る
よほど漕ぎ手の賃金が安いのか、最後まで、チップをおねだりされた
岸から離れる
遠くに見えるレンガ造りは、マハラジャのお城だそうだ
ゆっくりゆっくりと、合流点へと向かう
雨季で水の量は多いほう
河の合流点(サンガム)
舟と舟の間に竹を渡し、その間に網を張り
その中で沐浴をする
信者にとっては、一生に一度これるかどうかの場合もある
聖なる儀式に感動
たくさんの舟が出ていて
聖なる水で沐浴して、今までに犯した罪を洗い流すことによって
心身を清める
ここで一番よく売れるのは、聖水(ガンジスの水)をいれるポリボトルだそうだ
初秋の安曇野を散歩
コスモスが鮮やかに、軽やかに
鮮や可憐なキリン・・・・
オレンジ、グリーン・・・・
山の空気がピンと張って・・・
はるか彼方に八ヶ岳がみえるはず・・・・くもり・・・・
日常に追われ、ブログ更新もできず・・・
ひとときの散策・・・
手抜きブログでした・・・・・
でもきれいだった・・・・
サルナートの鹿公園の中でひときわ目立つ高い建物は、ダメーク・ストゥーパである。
この塔は、6世紀につくられたそうで、レンガを積んで建てられている。
仏教徒は、この塔の廻りを廻りながらお祈りをする。
ネパールからの信者がお祈りをささげていた。足場が、組まれ修復がなされている。
ストゥーパは、”土を盛り上げたもの”というサンスクリット語らしい
日本ならとっくに地震で倒れているだろうなあ
広がる遺跡群
きっとたくさんの仏教を信じる人たちが修行されたであろう
僧院のあとのようです
ほとんど基礎部分のみが残されている
すべてレンガ造りである
緑が美しい
サリーを着た女性が、遺跡の修復をしていた。
もっと作業しやすい服装もあるかと思うが、インド女性のみだなしなみには、敬服する。農村でも、農作業をサリーでしている姿を何度か見た。
レンガの目地を詰めている女性
裸足である
この方たちは、公務員なのかな?
日本的な常識は通用しない世界
ゆっくり、ゆっくりと時が流れている
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ここは、仏陀(釈尊)が、初めて説法を説かれた初転法輪の地です。
バナーラス郊外の鹿野苑(サルナート)にて、かつて一緒に修行した5人の修行者に会って、そこに集まった鹿をはじめとする動物たちにも、自分の覚られた真理を初めて語られました。
ここで初めて語られた言葉から仏教は始まりました。
まさに仏教の発祥の地であります。
私の後ろに写る寺院は、ムールガンダ・クティー寺院。
寺院の内側の壁には、日本人画家 野生司香雪が戦前に描いた仏陀の生涯の絵が描かれています。
”天上天下唯我独尊” の釈尊誕生の絵です
中に安置されている黄金の釈迦如来像
両手で結ぶ印は、説法印をあらわすそうです
インド旅行記11
ガンガー(ガンジス河)での沐浴場として有名な場所である。
ガンガーは聖なる水であり、沐浴すれば、すべとの罪は清められる。
ここでは、死体を遺灰にして流す。幼児の亡骸はそのまま河の中央まで船で行き流す。
朝早くからたくさんの巡礼の人々が集まる。
この日は、ガンガーの流れが急で、警察の許可が出ず、舟で漕ぎ出すことができなかった。舟に乗り待機して待っていたが、結局出れなかった。
輪廻転生を願う場所であり、神聖な祈りの場所である。
このようなガートと呼ばれる場所が65箇所河岸にある。
大きな傘の下には、バラモン(お坊さん)が座り、説教をする。
濁った水であるが、神聖な水である
日本人の感覚では、なかなかこの中に潜ることは勇気がいる。
しかし、日本に帰りやはり沐浴してこればよかったと、ちょっぴり後悔。
あの場所では、そんな気持ちになれなかった。
女性はサリーを着たまま沐浴する
沐浴場の帰り道で、コブラ使いにあう
インドのイメージの1コマを見た
ガンガーを見渡せる高いホテルのテラスで熱いチャイを飲んだ
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インド旅行記10
スジャータ村からブッダガヤへ戻り、四輪駆動車に乗り換え、前正覚山へと向かう。途中、舗装もしていない地道をとおり、運転手同士のラリーにも似たレースのうちに山の中腹に到着。
車を止めたところより徒歩で10分ほど歩くと寺院があり、その上に仏陀が苦行された洞窟がある。これは洞窟の入り口。(写真は龍村修先生)
洞窟の内部に苦行の姿の金色に装飾された仏像が安置されている。中は広さ6帖ほどで、蒸し暑く、大勢で入ることにより、まるで岩盤浴室のようになってしまった。蚊の大群の攻撃にあいながら、般若心経をあげる。苦行とは程遠いが、シャツがしぼれるほどの汗をかいた。出たときは、達成感を感じたのは私だけであろうか。
洞窟の前から眺める風景
ここは大陸なんだと広大さを感じる
時がとまっているような瞬間
住民たちが、物乞いに集まり、しばし考えさせられる
ポケットの小銭を渡すがきりがない
インド旅行記9
大菩薩寺からバスに乗り、河を渡り、スジャータ村へ
遠くに見える大菩薩寺本殿
この河はブッダが沐浴された河である
スジャータ村で見かけた土壁?
いや牛の糞を壁につけて乾かし燃料としている
このような光景はインドのどこでも見かける
この糞一塊は、燃料として売られる時の値段は1ルピー程度らしい
牛の糞は、日本人がイメージするほど汚いものではない
植物しか食べないので燃える
リサイクルとしては究極のエコロジーである
スジャータとは、ブッダにミルク粥をだして、過酷な修行でやせ細ったブッダが断食をやめることとなったきっかけを与えた娘である。この娘の村として聖地となっている。
この場所から見た正覚山
この山は、ブッダが修行された山です
いかにも神秘的な雰囲気を遠くからも感じさせます
スジャータのストゥーパ
レンガつくりの日本でいえば古墳のようになっている
最近発掘されたようである
元の部分を覆い隠すように、何重にも積んであるそうだ
少し前までは、土の山だったと、龍村先生の証言
インド旅行記8
本当に美しい園内である。孫悟空が天竺についたときの漫画のシーンを思い出した。この建物の半分くらいの高さの壁に、大きなグリーンのインコが巣を作っていた。動物園でしかみたことないインコが実際に野生で飛んでいるのを見たことに感動した。
前回に引き続き大菩薩寺内の写真。本殿前には、発掘されたストゥーパが建てられている。日本の五輪塔の原型かな。
本殿入り口横の建物で、五体投地での祈りが捧げられる。我々も、このあとで五体投地にて世界平和の祈りを捧げた。
ブッダが6週間の瞑想をした場所で、大雨が降ったときに、大蛇の王がでてきて、ブッダの笠になって守ったという伝説の池が寺院内にある。池にそのときの様子を再現した仏像が座っている。
インド旅行記7
8/26 7:40に今回の最大の目的地のひとつであるブッダ・ガヤに到着。お釈迦様(シッダールタ)が、苦行の末に、菩提樹の下で深い瞑想に入った末に澄み切った悟りを開かれた場所であり、ブッダ(覚者=覚った人)となった場所である。全世界の仏教徒の最大の聖地。その地に紀元前3世紀に建てられた寺院が起源で、マハーボーディ寺院(大菩薩寺)の塔(本殿52m)が建つ。7世紀頃には、ほぼこの形になったといわれる。この建物は、18世紀に発掘されるまで、イスラム教徒の破壊からまぬがれるために、土の中に埋められていたという。孫悟空で有名な玄奘三蔵の「大唐西域記」に記述がある。寺院内は、すべて裸足で、入り口ではきものを預け、石畳の上を歩く。本殿は、現在修復中であった。
本殿内部に黄金の釈迦像が祭られる。以前は、黒い色をしていたと、龍村先生から教えられた。朝早かったこともあり、観光客は少なく、内部での撮影もできた。混んでいるときは、内部に入ることもできないらしい。
本殿の後ろにある菩提樹の木の下に、お釈迦さまが35歳のときに49日間の瞑想をして、覚った場所に金剛座が置かれている。時を越えて、お釈迦様の崇高な息使いを感じた。タイやチベットの仏教徒が深い礼拝をささげる。インドの仏教徒は人口の2.5%くらいらしいことをガイドさんから聞いた。
菩提樹の木
この菩提樹は当時の木の4代目にあたり、樹齢120年になるそうです。スリランカにあった初代の子孫の木を植えたそうです。
この菩提樹の落ち葉を2枚記念に持ち帰りました。私の宝物。
本殿の側面には多くの仏像のレリーフがはめ込まれている。日本でもこれを模倣した仏塔を今年の6月に京都木野の妙満寺で見た。ストゥーパの原型であるのかな。
インド旅行記6
8/25 22:00にコルカタより寝台車に乗り8/26 5:30にガヤに到着しました。寝台車は、一等車であり、冷房車であった。この冷房がくせもので、インドの冷房は異常に寒い。冷房は効いてないと冷房じゃないという概念があり、私もこのために長袖のフリースを持っていった。シーツは2枚と毛布、枕が配られる。シーツの間に寝て、毛布をかける。2段ベッドとなっており、下段は、座席の背もたれを倒すとベッドになる。
ガヤの駅に、寝不足気味に到着直後の写真(後ろに乗ってきた列車)。まだ薄暗い。ひげが少しのびかけている。ホテルに髭剃りが無いために、この機会に初めて伸ばし始めた。
スーツケースはポーターさんが運んでくれる。頭の上に布を巻いて、スーツケースを2~3個を載せてバスまで移動。
混沌とした、ガヤの駅前。舗装はしてなく、大きな水溜りに、人力車、オートリクシャー、牛、豚、ヤギ・・・・インドでは普通の風景。しかし、こんな早朝になんでこんなに駅前に人がいるのか不思議。さすが、10億人の国。
ガヤの駅舎。道端で寝ている人をみかけるのも慣れてきた。気軽に手を振ってくれた赤シャツのお兄さん。この人の仕事は、たぶんポーターさん。右のスカートのような腰巻した人は、なんでここにいるのか?わかんない?
何をするわけでもなく駅に集まっている人々がいる。それぞれが分業されたインド人は、それぞれの仕事以外はいっさい手をださないから、遊んでいるようにもみえる。
ここから、バスで仏陀の悟りの地であるブッダ・ガヤへ向けて出発。次回に続く。・・・・
8/25 午後よりバスにてマザーテレサの施設から移動。途中、中華料理のレストランにてランチを済ませ、ガンジス河のほとりにある、ラーマクリシュナ ミッションへ向かう。午後4時からの開門のために、ガンジス河の遊覧船に乗る。遊覧船といっても、15人乗ったらいっぱいの木造船だった。ラーマクリシュナは、思想家で、宗教の枠を超えた思想をもち、今も世界中にその支部がある。ここは、敷地内にカメラを持ち込めことができなかったので、ガンジス河からの撮影となった。詳しい思想のことは、よく勉強してないので、わからない。中心となる建物は、仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教の建物の特徴を随所にいれた設計となっていた。この中で、しばし瞑想の時間をとり、心を澄ますことができた。園内は別世界のようにきれいに掃除がなされ、整備されていた。
ガンジス河は、今雨季で満水状態らしい
船の後ろに見えるのがラーマクリシュナ ミッションの中心建物
ガンジス河は、沐浴の場所が多くあり、階段がいくつも河へと続いている
石鹸で頭まで洗っているので、お風呂代わりにしているようだ
漁師さん 帆かけ船でのんびり魚をとっている
エンジンなしの木造船
竹の集積場 この竹は主に建築現場の足場に用いられている
運搬は大八車 時代がとまっているようだ
インド旅行記4
8/25 晴天の中、昨日お会いした五十嵐さんのご案内にて、私たち一行33人は、マザー・テレサの奉仕活動の拠点である本部を訪ねた。コルカタ市内にあり、たくさんのマザーの活動に心打たれた修道女さんたちが暮らし、世界に4000人近くの方が所属して世界中の同じような場所で活動をされている。建物内は、写真撮影が禁止されているために、道路からの外観のみとなる。マリア像が窓の上から道路側を見下ろしている。この窓の部屋は、修道女たちのお祈りの部屋となっていた。道路から細い路地を入り、入り口から回り込むようにこの建物の中に入る。この建物の1階にマザー・テレサは眠っていた。
写真撮影の許可を頂き、マザーの眠るお墓の前で。マリーゴールドの花輪をささげた。ここで、マザーのメダイを頂いた。このあと、日本人の修道女の方より、マザーの尊い
教えを聞く機会に恵まれた。この建物の裏側で、マザーの暮らされたお部屋も拝見することができ、生前にお使いになった品々も、お隣の部屋で拝見することができた。
20年前にカトリック教会で2年間勉強させて頂いたときのことを思い出したり、今年の1月にオリビア・ハッセー主演のマザー・テレサの映画を見たときに、映画の中でマザーが持っていた木の柄の布のバッグが実際に展示してあることに感動した。
マザーが、自分自身を捨て、すべてを困っている人々に献身されたことは、宗教という枠を超えて、人間として、この世ですべきことを教わった思いでいっぱいである。
この施設は、本部からほど近い場所にあり、「障害を持った子供たちの施設」と、「里親を待つ子供たちの施設」であった。内部を訪問させていただいたが、世界中から人々がボランテイアに来ていて、献身的な愛情を持って子供たちに接している姿を拝見して頭の下がる思いであった。
この施設は、「死を待つ人々の家」で、大人の重症患者さんの施設で、遺体安置所もあり、内部を見せていただいたが、コメントのしようがない。
今の日本は、あまりにも平和であり、ボケているとしか思えないことがたくさんあり、情けない気分になった。この日も日本の若者が、ボランテイアに参加しに初めてこの施設に案内されていた。日本の若者も、まだまだ、捨てたものではないぞという思いもあった。
生きるために必死でいる人々を拝見し、私のようなつかの間の訪問者が語ることなど許されないかもしれないが、常にこのような意識をもって、自分で始めれることを継続していきたいと思った。