万博会場は、活断層の真上です。びっくり!
記事読まれると怖くなりますよ!
http://mytown.asahi.com/aichi/news01.asp?c=49&kiji=51協会も知らなかったなんて、超やばいですね。
閉鎖もあるかも。皆さんくれぐれも覚悟して来てくださいね。
さて、昨日のBLOGの続きレポートです
スケッチの段階で見た時には、屋根がなかったのですが、屋根付のモスラの幼虫が出てきそうな山繭をイメージした建物です。
里山を散策する人の案内所になります。
このアールは左官さんが苦労して作ってました。その下地を作った大工さんもすごい。
ここのトイレはコンポストトイレです。ちょうどエコロジークリエイトの社長である石田さんが、雨水タンクを設置してました。トイレも雨水タンクも石田さんの会社で製造してます。トイレの開発には紆余曲折がありましたが、非常にがんばってます。私も10台ほど納品してもらいました。
建物の前に版築でできた壁がありました。少し曲がってましたが、それが自然でいいですね。
風力発電と太陽光発電のハイブリットな装置で電気を作ってます。さすが。エコ万博。
急ピッチで工事が進む愛知県館。たくさんの木材が外壁に使用してあります。
上から見ると、屋上緑化もしてありました。完成が楽しみです。
古窯の上屋の完成
今日は、完成検査だったのでその前に現場見学。
瀬戸物と言われるように、瀬戸市は、陶器の生産地であり
その歴史を物語る遺構がたくさん残っております。
その中のひとつの遺構でもある今回の古窯は、
愛知万博の瀬戸会場内、愛知県館の南に位置し、小高い山の
南斜面に向いた場所にあります。
車の入れる道路はなく、職人さんたちが大変な思いで建てました。
クレーンもないので、上棟は人力だけです。
下から見上げると急斜面を実感できます
こんなすごい上屋が過去にあったわけではありません
たぶん、掘っ立ての簡単な建物だったと想像されます
今回は遺構の保護と見学のために建てた上屋です
屋根は、本棟は、本瓦葺き。下屋は、瓦棒の板金です
雨水利用をするタンクも設置されます
内部の階段です。ひのきでできてます。左側が展示室になってます
左右に同じような階段室があります。
ワークショップコーナーで、陶芸などの実演をするらしいです
万博中にできるかどうかは、わかりません
大変な努力の末に完成した建物です。
現場で参加された職人、監督の皆さんに頭が下がります。
ごみの搬出も人力で山道を歩いて搬出。もちろん持ち込む材料道具も人力のみ。
完成しましたのでゆっくり御休憩ください。
着々と完成するパビリオン
いよいよ万博が3月に開催されます。
全国の方は、ほとんど知らないと思いますが、愛知県で開催されます。
半年間の開催なので、子供の遊び場にはちょうどいいし、勉強にもなるので
家族分のフリーパス券の購入をしようと考えてます。会場へは、アクセスが自宅
からだと自転車が一番いいようなので、今から楽しみです。
長久手会場と瀬戸会場を結ぶゴンドラも試運転中でした
風が強いせいか、揺れてて恐そうでした。
左の高架はリニアモーターカーの線路です
さて、今日は、雪雲が空を流れる中、設計協力した現場の監理に行ってきました。
古い瀬戸物を焼く窯の上屋です。
愛知県産の木材(桧、杉、松)を使い大工さん10人で最後の追い込みをしてました。
清水寺の舞台のような根元の木組です。
急な斜面に御影石の石垣、三和土で固められた足元。
束石も御影石が三和土に埋め込まれ、伝統工法で施工されてます。
斜面に立つ建物で、尚且つクレーンが入れないので手で組み上げられました。
現場へは、事務所から徒歩5分ほどかかり、職人さんは道具を持っていくのにも一苦労です。
上の棟は屋根が本瓦葺き。下屋は、鋼板の瓦棒葺きです。
徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の船を浮かべたと言われています
光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。
徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式です。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。
さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲の花々など、四季を通じて楽しめる庭となっています。
入り口脇の門です。丁寧に作ってありました。
残念なのは、園内にある木の橋で、パンフレットに桧造りと書いてあったのですが、
手すりと床板だけで、肝心の桁や柱は米松でした。偽りありです。
ぼたんの花が園内にたくさん植えられていて、春になればもっとすばらしいんでしょうね。今は、雪よけの傘をかぶり風情がありました。
茶室もしつらえてあり、建築士には勉強になります。
正月5日に、先月に引き続きひとり旅。
また、同じ大分県直入町の長湯温泉に行ってきました。
道も慣れてカーナビなしで迷わずに到着。
途中、雪も残ってましたが道にはなく
美しい阿蘇山も直入町へ入る峠道から見えました。
ここが、自称日本一の炭酸泉。ラムネ温泉です。
先月に続き2回目の訪問です。くせになってます。
残念ながら中の撮影はできません。
入り口の缶に200円投入して男湯へ入ります。
中は、杉の棚板があり、そこで服をぬぎ、岩組の浴槽へ
湯温度31度でしたので、少し寒い感じがしますが
ものの5秒で全身サイダーの中の状態で下半身の粘膜にしみいる
気泡が無数につきます。もちろんかけ流しの温泉です。
そのあと、40度の炭酸泉に(人が二人入れる円形の浴槽)に
入って体を温めます。
爽快な気分でゆっくり日頃の疲れをいやしました。
ラムネ温泉から川を少し下って、川原の中にガニ湯があります。
無料ですが、誰も入ってません。
橋の下で裸になって、勇気をもってさらけものになるなら
入浴できますけど
ガニ湯本舗天風庵です
立派な木造で、望楼のような展望台付の3階建て
横にある木造トイレには、うさぎの漆喰芸術が彫りこまれてます
丁寧に作られた国産材木造トイレでした。
温泉マニアにとって隠された名湯であったところを探しあてた。
なんとも云えぬここち良さであった。そこは、大分県は久住町下湯温泉にある。
阿蘇がすばらしくきれいに見える。
七里田温泉館「木の葉の湯」を目指してレンタカーを走らせる。大分の町から車で50分ほど。迷いながら、
隣町の観光案内所でも場所がわからず、やっとたどりついた。
木の葉の湯の自販機に210円を入れ、おばちゃんに鍵を借りて、50mほど離れた
川べりに古ぼけた老人のための共同浴場があり、一様男女に分かれている。
古い鍵を開けて入る。もちろん誰もいない。
窓を開けて入らないと危険ということであったが全部開いていた。
わくわくしながら、服を脱ぎ、いざお湯の中へ、もちろん蛇口など無くとめどもなく湯が注がれている。
炭酸泉は温度が高いとほとんど泡などでないが、ここは絶妙の35度。体中の産毛にサイダーのごとく
気泡がつく。なんとも心地よい。炭酸泉は血管が拡張して血行がよくなるというが実感。
この日、通称日本一のラムネ温泉に行くが湯温が27度と低く、心地良いのだが、その後に40度の湯に入らないと寒かった。
他に2箇所の温泉に入り、名古屋から日帰りで温泉三昧の一日であった。