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2011年6月9日

大船渡市からの手紙を紹介いたします

この度の東北地方の大震災で、陸前高田市の菅野照夫氏に対して、皆さまのご協力を賜り、心より感謝申し上げます。
菅野氏を通じて、支援物資を受け取られました方より、私宛にお手紙をいただきましたので、ご報告を申し上げます。
大船渡市に在住の近藤夫妻からのお手紙で、津波で、家の1階部分を流され、家財道具は、全部流されてしまったのですが
建物は、奇跡的に残ったところから、復興をされております。
お仕事は、いかだで,ホヤやカキなどの養殖をされておりました。
以下 お手紙(H23/6/2消印)より
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大江様
あの節は、ありがとうございます。
先日は、ぶしつけに挨拶いたしました。
お陰様で、こうして生きております。
色々と心あたたまる物資を、そしてお土産まで、頂戴いたしまして、心より御礼を申し上げます
着のみ着のままでの避難でしたので、必要な品々が、手元に届き助かりました
皆さまに分けるようにと預かってきた物資の品は、仮設に移る時に、毛布の必要な人、
お鍋の必要な人(仮設ではない方)
生理用品は、被災したしないに関わらず購入先のない方へとただ分けるのではなく
一人ひとり必要な品が違いますので、私の預かった分は、お渡ししました
この物資は、ひとりひとりの集まりの中で、いただいたことをお話ししました
「いただいていいの?」と一言お礼を言って持っていかれましたので、食品の方は、頂いた時に
すぐ避難所ではなく、個人拓に避難された方々に分けて、喜んでいただきました
被災者になるなんて夢にも思ったことはなく、
津波訓練も「おらいまでこないから」と避難したことがない私でした
35年のチリ地震津波は、津波の跡は見たことがありましたが
「まさか」と思うばかりで家族との話で「昔からここまで来たことはないし」と
親戚で、海岸に家があった人たちが避難してくるところだったのです
ところが、今回は、がれきの撤去が終わってみると、それほど高くもなく、海がすぐ近くだと感じます
「想定外」という言葉がたくさん使われますが、まさにその通り
15秒遅れていたら、あの駆け足で登ってきた波にのまれたと思います。
速い速い間に合わないと思いました
車をバックして高台へ向かうのに
テレビの動画を見ると、私も生きた事が不思議なことだったと思います
生きた私が皆さまのたくさんの心が届き生かされ仮設ではありますが、家族で息をつく場を与えられ
ほっとしています
私は、敷地内ではありますが、仮住まいです
お陰様で毎日片付け、修繕と一歩一歩進んでおります
ありがとございます
大江様お身体を大切に
心温まる心を私たちに皆さまよりいただいたことは忘れる事なく
他の地になってほしくない災害が起きたなら
私たちがすべきことはよくわかりました
大船渡市 近藤
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別紙に記入されていたこと
東日本大震災での救援物資の使い道
・卓上コンロとボンベのおかげで土鍋でごはんたきました
・まきストーブは、暖をとること、お湯を沸かし体を洗う、食器を洗うことができました
(がれきの山で、まきはたくさんありました)
・発電機は、夜、二時間の明るい灯りに、昼は、洗濯機、電気のこぎり、と生活の仕事に使用させていただきました
・懐中電燈は、電気が40日以上なかったので身から離すことなく使用しました
 明るさを全体に広げるために、頭の上に吊るし、スーパーの買い物袋で包み、柔らかい光となり
 ローソクのあかりとは違った、頭の上から照らす灯りにほっとしました
・毛布、寝具類 5月末に仮設に移られた方々へ配布しました(個人名3人ありました省略)
 仮設には人数分の夜具がありましたが、なにぶん寒いために、喜ばれました
・ラジオは、塩害のために全部使用できず、唯一のニュースと心の安らぎとなりました
 今も毎日使用しております
・ガソリンは、車ニ台に少ししかなく、助かりました。
 発電機を動かすためにも、大切に大切にしました
・食品関係 すぐに分け合い、何を買うにも買うところがなく助かりました
・カップラーメンは、湯がストーブで沸かせて食べました
 (今でも1日に1食食べてます
電気、水道、通信網、
電気は、ローソク、電燈で変わりますが、通信だけはどうにもならず連絡がつかない不安、生きていればいつかは
確認できますが、亡くなった方々を知るには、歩く以外なかったのです
一度、生きていたと確認できた甥が亡くなっていたのがわかったのが、4,5日後となり、それも「遺体で見つかった」
との伝達でした
”何が必要か”と問われてもすぐには浮かばない
”使えない””ない”とわかってから必要なものがでてくる
それが今回の大地震、大津波の時の経験でした
準備しきれないものもわかりましたし、水没してしまえば使えないが乾かすことも大切ともわかりました
水道は、給水車と井戸水を汲めば、あらためて、井戸のありがたさがわかりました
飲み水は、ペットボトル、給水車のみとしました
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このように、現地の状況を切々と書いていただきました
この手紙を読みながら、被災地の苦労を思うと涙がとまりませんでした
こうして、メールに書き写すことで、被災された人々のご苦労は
計りしれないものだと感じております
今後は、心のケアも含め、早期の復興が政府によってなされることを節に願います
長文となりましたことをお許しください
近藤様の思いを皆様にお伝えする義務があると思い
ここに書き記しました
(大江忍)

 
 
 

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