インド旅日記3
8/24 午後より日本人で、マザー・テレサの元で20年近く、ボランテイア活動を続けられた五十嵐 薫さんの設立された孤児の家を訪問いたしました。五十嵐さんは、マザー・テレサのお亡くなりになった日に対面している数少ない人のお一人です。レインボーホームと名付けられた孤児たちの家は、日本のNPO法人 レインボー国際協会が運営しております。以下 レインボー・ホームのHPより抜粋 (五十嵐はマザー・テレサに相談しました。「マザーは貧しい人の最も貧しい人のために衣食住を与えているけど、もう一つ私は彼らにお母さんを与えたいのです」。
マザー・テレサは厳しい目で五十嵐を見据え、「あなたに私と同じことができますか?」と聞きました。「とんでもない。自分にマザーと同じことなんてできるものですか」。マザー・テレサはおっしゃいました。「そうでしょう。あなたに私と同じことはできない。私にもあなたと同じことはできない。人にはそれぞれ神様に与えられたミッションがあります。まず祈りなさい。あなたの祈りが神様に通じれば、願いは必ず叶えられます」。マザーがあの世に帰る3年前の1994年のことでした。
マザー・テレサは、五十嵐に「祈ること」を教えてくれました。募金活動もしませんでした。祈っていたら本当にレインボー・ホームはできあがったのです。
よく自分は人に聞かれます。「なぜインドなの?日本だって良かったじゃない?」。でも自分にはインドしかなかったのです。なぜならそこにはマザー・テレサがいたから。そして多くの日本人が信仰する仏教の源であるお釈迦様の生まれた国だったから。)
写真左で、にこやかに子供たちを紹介される五十嵐さん。
子供たちの生い立ちは、いろいろだけど、子供たちの吸い込まれそうな純粋な眼差しに、心は打たれないはずもなく、自分自身のことも振り返りながら、子供たちに会えたことに感謝。
子供たちを励ましに来たのではなく、逆に子供たちを見て、気づくことができ、勇気をいただいた。
現在、30人の孤児たちが共同で暮らす。
施設は、無料の病院も併設されている。
この3人の女の子は、中学生。将来は、英語の先生,お医者さんになりたいとのこと。はにかみながら、質問に答えてくれた。
この男の子は、囲碁が上達して、インド代表として日本へも来たことがある。
将来が楽しみな子供たちである。
五十嵐さんを通じて、このお話に興味を持たれた方は是非、HPにアクセスし
てご協力をお願い申しあげます。
五十嵐さんからの言葉で印象的な最後の言葉は、マザー・テレサは、「カルカッタはあなたの街にもある。あなたの街でカルカッタを探しなさい」といわれたそうだ。
まずは、身の回りで実行していきたい。
インド旅日記2
8/24 旅行3日目コルカタ市内。雨季というが、思ったほど雨も降らず、曇りがちであり、名古屋の夏と大差なし。
写真1は、モイダン公園内にあるヴィクトリア記念堂。ときの領事が、ヴィクトリア女王の権威を象徴するために建設した白亜の殿堂である。ヴィクトリア女王は一度もここへ来ることはなかったらしい。タージマハールをモデルに純白の大理石で化粧されている。完成は1921年。コルカタ市内で唯一のまとまった緑地帯で、ここだけが別世界のような、整備された地区。地元の若者のデートコースらしい。
パレシュナート寺院。バドリダース・テンプルの庭に一画にあるジャイナ寺院。熱心な信者が、祈りをささげている。整備された庭が美しかった。
同寺院の階段のモザイク。非常に丁寧に作られていて、ほかの一般の建物のいいかげんさと対比すると驚く。ここは、裸足で歩く。
インドでは、裸足ですでに歩いている人がいて、どこからが、裸足にならなければならないか迷うときもあるが、このような神聖な場所は、ほとんど裸足のようであった。
屋根にも、ガラスがモザイク状に透けてみえるように、鉄板がくり抜いてある。
ステンドグラスとは違う。右の壁の部分は、きれいにモザイクが施されている。
手すり部分にはめられた、白大理石の板をくり抜いて透かし彫りが見事である。職人さんが精魂こめて造ったことがよくわかる。
インド旅日記1
20年ぶりの長期休暇で、12日間をインドのガンジス河を下流から上流へ、仏教、ジャイナ教、ヒンズー教、キリスト教の聖地を訪ねる旅でした。(yogaの先生 龍村修氏の企画旅行に参加 総勢33人)独立して、時間を調整させて頂き、心の勉強と人生の転換点を確認する旅でした。インドという国のエネルギーに圧倒され、なぜ仏教が興り、お釈迦さまの教えが日本まで伝わったのか、実際に現地を見て感動ばかりでした。同時にインドの人々の真剣な眼差しが忘れられないすばらしい時間を頂きました。
初日は、コルカタ(旧名 カルカッタ)から、ガンジス河がベンガル湾にそそぐ聖地ガンガサーガルへバスとボート、ジープを乗り継いで向かいました。
写真1は、カルカッタ市内の平均的な町の風景です
ガンガサーガルへの途中の農家です
土の壁と萱の屋根の自然住宅です
軸組みは木造でした
港で会った女の子
バスがついたところからずっとついてきました
ここは、インドでもあまり観光客の来ないところで外国人が珍しいようでした
ヒンズー教の寺院です
裸足になって、内部に入り、お参りをして、額に紅をつけてもらいました。
ここは、ほとんど海抜が0mで、時々水につかっているようでした。
広場の周りにはお土産屋さんがたくさんあり、子供たちもついてきました。
この寺院からまっすぐ2kmほど歩いた海の中に、聖地があります。
ここは、一年に一度しか海から姿を現しませんので、この日は遠くから眺めるだけでした。(毎年1月に見えるそうです)
この場所は、ベンガル湾にたくさんある島の海側です。
沈みそうなボートにたくさんの人を乗せて島に渡りました。
ガンジス河の広大さに感動しました。
般若波羅密の世界です。
ここが旅のスタートです。
甲府城の定例会議の前に見学してきました
恵林寺は、臨済宗妙心寺派を代表する山梨の名刹です。元徳二年 (1330 年)、名僧夢窓疎石(夢窓国師)によって開山されました。戦国時代、甲斐の武田信玄が快川国師に帰依し、菩提寺としました。信玄のお墓もあります。武田家滅亡の直後、織田信長軍によって焼き打ちされ、全山灰塵としましたが、後に徳川家康によって再建され、徳川幕府にて要職を勤めた柳沢家によっても保護され隆盛を極めました。
庫裏の玄関土間
大黒柱はケヤキで、約2尺*約1尺の長方形でした
小屋組みは圧巻です
赤い門は重要文化財です
夢窓国師作の石庭
国指定の史跡で、鎌倉時代の禅様式をよく伝える名園と言われています。「心地庭」と呼ばれてます。
寒くて池が凍ってました。春に訪れたら桜がきれいだろうなと思いました。
信玄のお墓の横に樹齢数百年の杉木立があります
歴史の重みを感じます
まっすぐに伸びたすばらしい杉でした
木材にしたらすごいだろうなあと
建築屋の発想でした(笑)
回廊東南より金堂と五重の塔を望む
日本に国宝の建物は213棟
そのうち法隆寺に 18棟ある
光りつけ
回廊の○柱がみごとに光りつけされている
ひかりつけとは、自然の基礎石に石を削ることなく
木に石の形を写して、ぴったりとあわせる技術です
先人の匠のすばらしさに感嘆です
実際に自分でするとなかなかあいません
土台もひかりつけされてます
柱は根継ぎがしてありました
千年以上もの間
構造計算もなく建物は持つのです
昨今の建築士の問題は、なげかわしいものです
大工の経験に勝るものはないでしょう
3年ぶりに法隆寺を訪ねた。
南大門前に以前はあった無料の駐車場がなくなっており
お土産屋さんの無料駐車場にとめることとなった。
法隆寺の南大門を抜けると両側に土塀がある。
この土塀は法隆寺の数ある土塀の中でも
最も丁寧に施工されている。
今から10年ほど前に
法隆寺の宮大工棟梁である
故西岡常一棟梁の御自宅に伺ったときに
法隆寺には学ぶところがたくさんあり
土塀ひとつとってもたくさんのお話をうかがったことを思い出した
この土塀は、新しい粘性土に混ぜて、古土も入れながら
焼き杉の板の型枠をいれて、一寸○の樫の棒で丁寧につついて
押し固め、1寸の厚みずつに層をなしていく構造
コンクリートよりも耐久性があると言われてた
壁の上の方は軒下となるため
施工した当時の型板の木目が残っている
下部は、雨により侵食されている
風雨にさらされても強い土の壁
上部には型板の木目が残る
この土は大きな鉄のなべで一度焼いてあるそうだ
昔は、法隆寺の中にそのなべがあったそうで
それを探しに行ったけど
棟梁の言われた場所にはなかった
夢殿へと向かう通路の南側の土塀
あきらかに土の積みかたが違う
一度に3寸から4寸の厚みで固められている
古い瓦も混じっている
丁寧さがぜんぜん違うから
持ちも違うんだろうなあ
だから丁寧な仕事しないと
名古屋とは別天地の涼しさ
今年も行ってきました
息子二人も大満足
マス釣りにも今年は出かけて大漁でした
持留さんお世話になりました
夕方の散歩です
初日持留家へ集まった面々
木の家ネットメンバー
三重の大工さんで池山さん親子、三重の材木屋さんの古市さん
、木の香の松田さん、持留さん家族、大江の親子です
夕食はバーべキュウ。持留家の庭にて。
無農薬の野菜もたっぷり。大満足。
朝食はぜいたくに、車ですぐのせせらぎの上にかかる橋の上で、ヨハナさん手作りのパンとスープをいただきました。
綾部さんが、子供たちと銀杏の実を割ってます。夕食のおかずです。
珍しそうに見てます。
温泉の聖地(別府八湯の玄関)竹瓦温泉
明治12年に建立 屋根に竹が葺いてあったのでこの名がついたそうな。
現在の建物は昭和13年に建築され、ほとんど手を入れてない状態で、
唐破風入母屋造りです。残念ながら内部は撮影できないので外部だけ。
男女内湯と砂湯があります。入湯料 100円です。
お風呂は古い石張りの浴槽が半地下にあり、床も石張り、壁は真壁の漆喰塗り
おそらく、一度も修理がされてないほど古い。
シャワーなど無く、蛇口も湯を冷ます銅の蛇口がひとつだけ。
浴槽には10~15人も入ればいっぱいの状態。
タイムスリップしたような変らぬ風情がたまらない。
土類と重曹の特徴を持つエグ味の名湯である。
効能はリューマチ、皮膚病、神経痛など。
看板の屋根は竹で葺いてあり、この温泉の由来を表現しているようだ。
現在は陶器瓦で葺いてあります。
立派な唐破風の玄関の庇である。
2階は地元の公民館として使用されているようだった。
正月5日に、先月に引き続きひとり旅。
また、同じ大分県直入町の長湯温泉に行ってきました。
道も慣れてカーナビなしで迷わずに到着。
途中、雪も残ってましたが道にはなく
美しい阿蘇山も直入町へ入る峠道から見えました。
ここが、自称日本一の炭酸泉。ラムネ温泉です。
先月に続き2回目の訪問です。くせになってます。
残念ながら中の撮影はできません。
入り口の缶に200円投入して男湯へ入ります。
中は、杉の棚板があり、そこで服をぬぎ、岩組の浴槽へ
湯温度31度でしたので、少し寒い感じがしますが
ものの5秒で全身サイダーの中の状態で下半身の粘膜にしみいる
気泡が無数につきます。もちろんかけ流しの温泉です。
そのあと、40度の炭酸泉に(人が二人入れる円形の浴槽)に
入って体を温めます。
爽快な気分でゆっくり日頃の疲れをいやしました。
ラムネ温泉から川を少し下って、川原の中にガニ湯があります。
無料ですが、誰も入ってません。
橋の下で裸になって、勇気をもってさらけものになるなら
入浴できますけど
ガニ湯本舗天風庵です
立派な木造で、望楼のような展望台付の3階建て
横にある木造トイレには、うさぎの漆喰芸術が彫りこまれてます
丁寧に作られた国産材木造トイレでした。
温泉マニアにとって隠された名湯であったところを探しあてた。
なんとも云えぬここち良さであった。そこは、大分県は久住町下湯温泉にある。
阿蘇がすばらしくきれいに見える。
七里田温泉館「木の葉の湯」を目指してレンタカーを走らせる。大分の町から車で50分ほど。迷いながら、
隣町の観光案内所でも場所がわからず、やっとたどりついた。
木の葉の湯の自販機に210円を入れ、おばちゃんに鍵を借りて、50mほど離れた
川べりに古ぼけた老人のための共同浴場があり、一様男女に分かれている。
古い鍵を開けて入る。もちろん誰もいない。
窓を開けて入らないと危険ということであったが全部開いていた。
わくわくしながら、服を脱ぎ、いざお湯の中へ、もちろん蛇口など無くとめどもなく湯が注がれている。
炭酸泉は温度が高いとほとんど泡などでないが、ここは絶妙の35度。体中の産毛にサイダーのごとく
気泡がつく。なんとも心地よい。炭酸泉は血管が拡張して血行がよくなるというが実感。
この日、通称日本一のラムネ温泉に行くが湯温が27度と低く、心地良いのだが、その後に40度の湯に入らないと寒かった。
他に2箇所の温泉に入り、名古屋から日帰りで温泉三昧の一日であった。