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2006年9月18日

スジャータ村へ

インド旅行記9

大菩薩寺からバスに乗り、河を渡り、スジャータ村へ
遠くに見える大菩薩寺本殿
この河はブッダが沐浴された河である

スジャータ村で見かけた土壁?
いや牛の糞を壁につけて乾かし燃料としている
このような光景はインドのどこでも見かける
この糞一塊は、燃料として売られる時の値段は1ルピー程度らしい
牛の糞は、日本人がイメージするほど汚いものではない
植物しか食べないので燃える
リサイクルとしては究極のエコロジーである

スジャータとは、ブッダにミルク粥をだして、過酷な修行でやせ細ったブッダが断食をやめることとなったきっかけを与えた娘である。この娘の村として聖地となっている。

この場所から見た正覚山
この山は、ブッダが修行された山です

いかにも神秘的な雰囲気を遠くからも感じさせます

スジャータのストゥーパ
レンガつくりの日本でいえば古墳のようになっている
最近発掘されたようである
元の部分を覆い隠すように、何重にも積んであるそうだ
少し前までは、土の山だったと、龍村先生の証言


2006年9月13日

大菩薩寺2

インド旅行記8

本当に美しい園内である。孫悟空が天竺についたときの漫画のシーンを思い出した。この建物の半分くらいの高さの壁に、大きなグリーンのインコが巣を作っていた。動物園でしかみたことないインコが実際に野生で飛んでいるのを見たことに感動した。

前回に引き続き大菩薩寺内の写真。本殿前には、発掘されたストゥーパが建てられている。日本の五輪塔の原型かな。

本殿入り口横の建物で、五体投地での祈りが捧げられる。我々も、このあとで五体投地にて世界平和の祈りを捧げた。

ブッダが6週間の瞑想をした場所で、大雨が降ったときに、大蛇の王がでてきて、ブッダの笠になって守ったという伝説の池が寺院内にある。池にそのときの様子を再現した仏像が座っている。


2006年9月12日

ブッダ・ガヤ到着

インド旅行記7
8/26 7:40に今回の最大の目的地のひとつであるブッダ・ガヤに到着。お釈迦様(シッダールタ)が、苦行の末に、菩提樹の下で深い瞑想に入った末に澄み切った悟りを開かれた場所であり、ブッダ(覚者=覚った人)となった場所である。全世界の仏教徒の最大の聖地。その地に紀元前3世紀に建てられた寺院が起源で、マハーボーディ寺院(大菩薩寺)の塔(本殿52m)が建つ。7世紀頃には、ほぼこの形になったといわれる。この建物は、18世紀に発掘されるまで、イスラム教徒の破壊からまぬがれるために、土の中に埋められていたという。孫悟空で有名な玄奘三蔵の「大唐西域記」に記述がある。寺院内は、すべて裸足で、入り口ではきものを預け、石畳の上を歩く。本殿は、現在修復中であった。

本殿内部に黄金の釈迦像が祭られる。以前は、黒い色をしていたと、龍村先生から教えられた。朝早かったこともあり、観光客は少なく、内部での撮影もできた。混んでいるときは、内部に入ることもできないらしい。

本殿の後ろにある菩提樹の木の下に、お釈迦さまが35歳のときに49日間の瞑想をして、覚った場所に金剛座が置かれている。時を越えて、お釈迦様の崇高な息使いを感じた。タイやチベットの仏教徒が深い礼拝をささげる。インドの仏教徒は人口の2.5%くらいらしいことをガイドさんから聞いた。

菩提樹の木
この菩提樹は当時の木の4代目にあたり、樹齢120年になるそうです。スリランカにあった初代の子孫の木を植えたそうです。
この菩提樹の落ち葉を2枚記念に持ち帰りました。私の宝物。

本殿の側面には多くの仏像のレリーフがはめ込まれている。日本でもこれを模倣した仏塔を今年の6月に京都木野の妙満寺で見た。ストゥーパの原型であるのかな。


2006年9月10日

寝台車でガヤ駅に到着

インド旅行記6

8/25 22:00にコルカタより寝台車に乗り8/26 5:30にガヤに到着しました。寝台車は、一等車であり、冷房車であった。この冷房がくせもので、インドの冷房は異常に寒い。冷房は効いてないと冷房じゃないという概念があり、私もこのために長袖のフリースを持っていった。シーツは2枚と毛布、枕が配られる。シーツの間に寝て、毛布をかける。2段ベッドとなっており、下段は、座席の背もたれを倒すとベッドになる。
 ガヤの駅に、寝不足気味に到着直後の写真(後ろに乗ってきた列車)。まだ薄暗い。ひげが少しのびかけている。ホテルに髭剃りが無いために、この機会に初めて伸ばし始めた。

スーツケースはポーターさんが運んでくれる。頭の上に布を巻いて、スーツケースを2~3個を載せてバスまで移動。

混沌とした、ガヤの駅前。舗装はしてなく、大きな水溜りに、人力車、オートリクシャー、牛、豚、ヤギ・・・・インドでは普通の風景。しかし、こんな早朝になんでこんなに駅前に人がいるのか不思議。さすが、10億人の国。

ガヤの駅舎。道端で寝ている人をみかけるのも慣れてきた。気軽に手を振ってくれた赤シャツのお兄さん。この人の仕事は、たぶんポーターさん。右のスカートのような腰巻した人は、なんでここにいるのか?わかんない?
何をするわけでもなく駅に集まっている人々がいる。それぞれが分業されたインド人は、それぞれの仕事以外はいっさい手をださないから、遊んでいるようにもみえる。
ここから、バスで仏陀の悟りの地であるブッダ・ガヤへ向けて出発。次回に続く。・・・・


2006年9月8日

ラーマクリシュナ ミッションを訪ねて

8/25 午後よりバスにてマザーテレサの施設から移動。途中、中華料理のレストランにてランチを済ませ、ガンジス河のほとりにある、ラーマクリシュナ ミッションへ向かう。午後4時からの開門のために、ガンジス河の遊覧船に乗る。遊覧船といっても、15人乗ったらいっぱいの木造船だった。ラーマクリシュナは、思想家で、宗教の枠を超えた思想をもち、今も世界中にその支部がある。ここは、敷地内にカメラを持ち込めことができなかったので、ガンジス河からの撮影となった。詳しい思想のことは、よく勉強してないので、わからない。中心となる建物は、仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教の建物の特徴を随所にいれた設計となっていた。この中で、しばし瞑想の時間をとり、心を澄ますことができた。園内は別世界のようにきれいに掃除がなされ、整備されていた。

ガンジス河は、今雨季で満水状態らしい
船の後ろに見えるのがラーマクリシュナ ミッションの中心建物

ガンジス河は、沐浴の場所が多くあり、階段がいくつも河へと続いている
石鹸で頭まで洗っているので、お風呂代わりにしているようだ

漁師さん 帆かけ船でのんびり魚をとっている
エンジンなしの木造船

竹の集積場 この竹は主に建築現場の足場に用いられている
運搬は大八車 時代がとまっているようだ


2006年9月7日

故マザー・テレサを訪ねて

インド旅行記4

8/25 晴天の中、昨日お会いした五十嵐さんのご案内にて、私たち一行33人は、マザー・テレサの奉仕活動の拠点である本部を訪ねた。コルカタ市内にあり、たくさんのマザーの活動に心打たれた修道女さんたちが暮らし、世界に4000人近くの方が所属して世界中の同じような場所で活動をされている。建物内は、写真撮影が禁止されているために、道路からの外観のみとなる。マリア像が窓の上から道路側を見下ろしている。この窓の部屋は、修道女たちのお祈りの部屋となっていた。道路から細い路地を入り、入り口から回り込むようにこの建物の中に入る。この建物の1階にマザー・テレサは眠っていた。

写真撮影の許可を頂き、マザーの眠るお墓の前で。マリーゴールドの花輪をささげた。ここで、マザーのメダイを頂いた。このあと、日本人の修道女の方より、マザーの尊い
教えを聞く機会に恵まれた。この建物の裏側で、マザーの暮らされたお部屋も拝見することができ、生前にお使いになった品々も、お隣の部屋で拝見することができた。
20年前にカトリック教会で2年間勉強させて頂いたときのことを思い出したり、今年の1月にオリビア・ハッセー主演のマザー・テレサの映画を見たときに、映画の中でマザーが持っていた木の柄の布のバッグが実際に展示してあることに感動した。
マザーが、自分自身を捨て、すべてを困っている人々に献身されたことは、宗教という枠を超えて、人間として、この世ですべきことを教わった思いでいっぱいである。

この施設は、本部からほど近い場所にあり、「障害を持った子供たちの施設」と、「里親を待つ子供たちの施設」であった。内部を訪問させていただいたが、世界中から人々がボランテイアに来ていて、献身的な愛情を持って子供たちに接している姿を拝見して頭の下がる思いであった。

この施設は、「死を待つ人々の家」で、大人の重症患者さんの施設で、遺体安置所もあり、内部を見せていただいたが、コメントのしようがない。

今の日本は、あまりにも平和であり、ボケているとしか思えないことがたくさんあり、情けない気分になった。この日も日本の若者が、ボランテイアに参加しに初めてこの施設に案内されていた。日本の若者も、まだまだ、捨てたものではないぞという思いもあった。
生きるために必死でいる人々を拝見し、私のようなつかの間の訪問者が語ることなど許されないかもしれないが、常にこのような意識をもって、自分で始めれることを継続していきたいと思った。


2006年9月5日

レインボーホームを訪ねて

インド旅日記3

8/24 午後より日本人で、マザー・テレサの元で20年近く、ボランテイア活動を続けられた五十嵐 薫さんの設立された孤児の家を訪問いたしました。五十嵐さんは、マザー・テレサのお亡くなりになった日に対面している数少ない人のお一人です。レインボーホームと名付けられた孤児たちの家は、日本のNPO法人 レインボー国際協会が運営しております。以下 レインボー・ホームのHPより抜粋 (五十嵐はマザー・テレサに相談しました。「マザーは貧しい人の最も貧しい人のために衣食住を与えているけど、もう一つ私は彼らにお母さんを与えたいのです」。

マザー・テレサは厳しい目で五十嵐を見据え、「あなたに私と同じことができますか?」と聞きました。「とんでもない。自分にマザーと同じことなんてできるものですか」。マザー・テレサはおっしゃいました。「そうでしょう。あなたに私と同じことはできない。私にもあなたと同じことはできない。人にはそれぞれ神様に与えられたミッションがあります。まず祈りなさい。あなたの祈りが神様に通じれば、願いは必ず叶えられます」。マザーがあの世に帰る3年前の1994年のことでした。

マザー・テレサは、五十嵐に「祈ること」を教えてくれました。募金活動もしませんでした。祈っていたら本当にレインボー・ホームはできあがったのです。
よく自分は人に聞かれます。「なぜインドなの?日本だって良かったじゃない?」。でも自分にはインドしかなかったのです。なぜならそこにはマザー・テレサがいたから。そして多くの日本人が信仰する仏教の源であるお釈迦様の生まれた国だったから。)

写真左で、にこやかに子供たちを紹介される五十嵐さん。
子供たちの生い立ちは、いろいろだけど、子供たちの吸い込まれそうな純粋な眼差しに、心は打たれないはずもなく、自分自身のことも振り返りながら、子供たちに会えたことに感謝。

子供たちを励ましに来たのではなく、逆に子供たちを見て、気づくことができ、勇気をいただいた。
現在、30人の孤児たちが共同で暮らす。
施設は、無料の病院も併設されている。

この3人の女の子は、中学生。将来は、英語の先生,お医者さんになりたいとのこと。はにかみながら、質問に答えてくれた。

この男の子は、囲碁が上達して、インド代表として日本へも来たことがある。
将来が楽しみな子供たちである。

五十嵐さんを通じて、このお話に興味を持たれた方は是非、HPにアクセスし
てご協力をお願い申しあげます。

五十嵐さんからの言葉で印象的な最後の言葉は、マザー・テレサは、「カルカッタはあなたの街にもある。あなたの街でカルカッタを探しなさい」といわれたそうだ。
まずは、身の回りで実行していきたい。


2006年9月4日

ジャイナ教寺院

インド旅日記2

8/24 旅行3日目コルカタ市内。雨季というが、思ったほど雨も降らず、曇りがちであり、名古屋の夏と大差なし。

写真1は、モイダン公園内にあるヴィクトリア記念堂。ときの領事が、ヴィクトリア女王の権威を象徴するために建設した白亜の殿堂である。ヴィクトリア女王は一度もここへ来ることはなかったらしい。タージマハールをモデルに純白の大理石で化粧されている。完成は1921年。コルカタ市内で唯一のまとまった緑地帯で、ここだけが別世界のような、整備された地区。地元の若者のデートコースらしい。

パレシュナート寺院。バドリダース・テンプルの庭に一画にあるジャイナ寺院。熱心な信者が、祈りをささげている。整備された庭が美しかった。

同寺院の階段のモザイク。非常に丁寧に作られていて、ほかの一般の建物のいいかげんさと対比すると驚く。ここは、裸足で歩く。
インドでは、裸足ですでに歩いている人がいて、どこからが、裸足にならなければならないか迷うときもあるが、このような神聖な場所は、ほとんど裸足のようであった。

屋根にも、ガラスがモザイク状に透けてみえるように、鉄板がくり抜いてある。
ステンドグラスとは違う。右の壁の部分は、きれいにモザイクが施されている。

手すり部分にはめられた、白大理石の板をくり抜いて透かし彫りが見事である。職人さんが精魂こめて造ったことがよくわかる。


2006年9月3日

無事帰国

インド旅日記1 

20年ぶりの長期休暇で、12日間をインドのガンジス河を下流から上流へ、仏教、ジャイナ教、ヒンズー教、キリスト教の聖地を訪ねる旅でした。(yogaの先生 龍村修氏の企画旅行に参加 総勢33人)独立して、時間を調整させて頂き、心の勉強と人生の転換点を確認する旅でした。インドという国のエネルギーに圧倒され、なぜ仏教が興り、お釈迦さまの教えが日本まで伝わったのか、実際に現地を見て感動ばかりでした。同時にインドの人々の真剣な眼差しが忘れられないすばらしい時間を頂きました。
 初日は、コルカタ(旧名 カルカッタ)から、ガンジス河がベンガル湾にそそぐ聖地ガンガサーガルへバスとボート、ジープを乗り継いで向かいました。
写真1は、カルカッタ市内の平均的な町の風景です

ガンガサーガルへの途中の農家です
土の壁と萱の屋根の自然住宅です
軸組みは木造でした

港で会った女の子
バスがついたところからずっとついてきました
ここは、インドでもあまり観光客の来ないところで外国人が珍しいようでした

ヒンズー教の寺院です
裸足になって、内部に入り、お参りをして、額に紅をつけてもらいました。
ここは、ほとんど海抜が0mで、時々水につかっているようでした。
広場の周りにはお土産屋さんがたくさんあり、子供たちもついてきました。

この寺院からまっすぐ2kmほど歩いた海の中に、聖地があります。
ここは、一年に一度しか海から姿を現しませんので、この日は遠くから眺めるだけでした。(毎年1月に見えるそうです)
この場所は、ベンガル湾にたくさんある島の海側です。
沈みそうなボートにたくさんの人を乗せて島に渡りました。

ガンジス河の広大さに感動しました。
般若波羅密の世界です。
ここが旅のスタートです。


2006年2月3日

甲斐の恵林寺

甲府城の定例会議の前に見学してきました

恵林寺は、臨済宗妙心寺派を代表する山梨の名刹です。元徳二年 (1330 年)、名僧夢窓疎石(夢窓国師)によって開山されました。戦国時代、甲斐の武田信玄が快川国師に帰依し、菩提寺としました。信玄のお墓もあります。武田家滅亡の直後、織田信長軍によって焼き打ちされ、全山灰塵としましたが、後に徳川家康によって再建され、徳川幕府にて要職を勤めた柳沢家によっても保護され隆盛を極めました。

庫裏の玄関土間
大黒柱はケヤキで、約2尺*約1尺の長方形でした
小屋組みは圧巻です

赤い門は重要文化財です

夢窓国師作の石庭
国指定の史跡で、鎌倉時代の禅様式をよく伝える名園と言われています。「心地庭」と呼ばれてます。
寒くて池が凍ってました。春に訪れたら桜がきれいだろうなと思いました。

信玄のお墓の横に樹齢数百年の杉木立があります
歴史の重みを感じます
まっすぐに伸びたすばらしい杉でした
木材にしたらすごいだろうなあと
建築屋の発想でした(笑)